お正月の寄せ植え 


今年の松が明けて しばらくしたころ 解体した寄せ植えからハボタンを取り出し 先端を止めて今まで育てたところが たくさんの脇芽が出て いい感じです
それだけでは もちろん足りないので ホームセンターまで自転車を漕ぎました

いつになく賑やかな店内 花売り場は シメナワやお飾りに占領され 草花は普段の半分ほどでしたが そこに思いがけない宝物を見つけました

多肉の中でも特に可愛らしいハートカズラが 処分品として 5鉢
ハートカズラはもちろん 斑入りも育てたことはありましたが 冬の間 室内に取り込んで失敗
けっこう 寒さには強い種類のようです

5鉢のうち 斑入りの3鉢を お買い上げ

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しかし 処分品とは言え あまりにもリーズナブルなので レジの女の子に 「間違ってない?」 と確認したら 「はい」 とニッコリ
アルバイトの学生さんらしかったけれど それ以上は追求せずに お安くいただいて来ました

この逆もありますしね

いつだったか 近くのスーパーの店頭に併設された花屋さんにて
この箱の中はオール半額 となった鉢花をレジに持ち込み 他の食糧品と一緒に支払ったのでしたが なんとなく胸騒ぎがしてレシートを確認したところ しっかり正規の価格が記されています
しかし わざわざレジで返金して頂くのも気が引け すごすごと帰って来たこともありましたから

ふふっ!
たかがコイン数個で 胸騒ぎしたり すごすごしたり ・・・ 

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お正月の寄せ植え用は 気前よく 


家にあったシクラメンとハボタンも加えて ドーンと 二つ 完成しました


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太平洋側は 初日が見られそうな予報です



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コメント

おおお~!
~~~ヾ(^∇^)おはよーございまーす♪
色と形状と・・・感性豊かな作品ですね~。
家の花壇 開けて待ってまーす 🎶
いくつでも置けますよー 🎶

「認証用キーワード」… 1001 だって・・・

2014.12.29   kanmo   編集

kanmo さん

寄せ植えは、何種類かを植え込めば、だいたい形がつきますからね(*^-^*)

花壇が空いてますか。
了解です(^^♪
そのうちに黒い猫がお届けすると思いますので、お待ちください。

いつもお邪魔するところを一通り回りましたが、どちらも認証不要で閲覧できました、、、
1001? 
意味不明(-_-;)

2014.12.29   麦   編集

麦さん、こんにちは。
うまくぺったんこできるかな~

私怨と出世欲の権化となった鳥居耀蔵は、洋学嫌いの国学者たちを急き立てて「尚歯会」つぶしにかかる。鎖国が国是となっているのに蘭学とはいかなる了見かというわけである。「尚歯会」の直接的意味は「歯=年齢」ということで老人を敬うという趣旨で、時代を越えて広く知られていた言葉だったが現在ではほとんど聞かなくなっている。

歴史夜話28
 耀蔵は「尚歯会」に探りを入れ、「尚歯会」に海外密航の企てがあるとでっちあげ、中心人物渡辺崋山を捕縛させた。取り調べのなかで、崋山が書いた「慎機論」が発見されそれが幕政批判にあたるとされ厳しく糾弾された。結果的には、崋山は国許三河田原に永蟄居となり蟄居先で自殺した、蘭学者の小関三英は自害、高野長英は自首したが終身刑となった。その後、破獄して全国を潜伏するも捕吏に囲まれ自殺した。これにより「尚歯会」は潰滅した。これを「蛮社の獄」という。

歴史的にいえば「蛮社の獄」の代償は余りにも大きかった。なぜなら世界情勢を察知し、各方面にも影響力が少なくなかった「尚歯会」が潰滅したことによって日本はその後、海外の情勢分析をする機関がなくなってしまったからだ。

 そして耀蔵の「活躍」は更に続く。耀蔵は幕府の要職、南町奉行になるため、老中水野忠邦に取り入り、ときの南町奉行、矢部定謙を無実の罪に陥れこれを追い落とした。そして耀蔵は念願の南町奉行になった。陰謀にはめられた矢部は桑名藩にお預けののち死亡する。当時、北町奉行は遠山の金さんこと遠山金四郎だった。耀蔵と遠山はライバルとなるが、金さんも江戸町奉行から遠ざけられるのである。

 老中水野忠邦は「天保の改革」の推進責任者だった。耀蔵は水野の腹心として改革を推進する。天保の改革は贅沢の禁止などの緊縮政策だったので江戸市民の生活を圧迫した。江戸の巷では水野の人気が凋落し、経済も貨幣の流通が停滞し不景気を引き起こしたのである。耀蔵は、そうした江戸市民の間にスパイを放ち、取締りを強化したのである。密偵たちは検挙率をあげるため些細なことでも取り締まったため、江戸の町は一種の恐怖政治に陥った。

2016.06.27   えんてつ   編集

上手くいきました~♪

では、完結編というか 歴史夜話29です。


人々は、耀蔵のことを「妖怪」と呼んで恐れたのである。そして耀蔵の活躍はまだまだ続くのである。


歴史夜話29
 耀蔵の活躍はまだまだ続く。当時、洋式砲術の大家、高島秋帆(たかしま しゅうはん)が幕府に認められ取り立てられることになった。このままでは高島の洋式砲術が正式に採用される動きになっていた。洋式嫌いの耀蔵にはそれが面白くない。それに高島秋帆は浦賀測量以来恨み重なる江川英龍の砲術の師にあたるからだ。耀蔵は高島に密貿易や謀反の嫌疑をかけ、捕縛してしまう。

 水野忠邦は腹心の耀蔵を勘定奉行にした。南町奉行と兼任だから今でいえば、財務大臣兼東京都知事、警視庁長官、最高裁裁判官を一人でやっているようなことになる。耀蔵の権勢はさらに凄さを増したのである。しかし、この当時、水野の天保の改革に大きな行き詰まりが出てきたのだ。

 天保の改革の目玉のひとつは「上知令」であった。「上知令」は江戸と大坂の周辺を諸大名から取り上げ、幕府の直轄領にするという政策である。大坂周辺に領地をもつ紀州徳川家をはじめ多くの譜代大名が反対した。そしてついに反水野派が結集された。そうなると、日に日に、水野が追い込まれてゆくことになった。

ここでもまた耀蔵が暗躍する。なんと水野の腹心であるはずの耀蔵が水野を見限るのである。見限るばかりか反水野派に寝返ってしまった。これによって水野は老中を失脚した。
しかし、ここで耀蔵には致命的な事件が起こる。なんと将軍家慶の命令で10ヶ月後に水野が復職したのである。復職した水野によって耀蔵は閑職に追い込まれ、ついに罪状を調べられて、讃岐丸亀の京極家に永預けとなった。

 耀蔵は丸亀の京極家に預けられること23年の長きに渡った。この間、将軍の代替わりなどによる恩赦の機会が何度かあったが、耀蔵を赦す動きは遂に無かった。耀蔵のような「妖怪」が江戸に戻ることを恐れたからにちがいない。しかし、時代は明治に向けて激動のときを迎えていた。耀蔵は丸亀の地で明治を生き延びたのだ。

 「妖怪」とよばれた耀蔵のこと故、丸亀では最初は耀蔵に関わることを恐れ近づく者とてなかったが、耀蔵は学問だけでなく医学の心得があったため月日がたつにつれ診療に訪れるものがだんだん増えたようである。耀蔵の幽居中、診察者の数は3800人を超えたと言われている。明治になって丸亀から東京にもどったが、そのとき耀蔵はすでに70歳余りになっていた。すでに江戸幕府は滅びている。耀蔵は旧知の幕臣の家を訪ねて、幕府瓦解の一部始終を尋ね聞いた。そして「わしは昔、外国の学問を近づけるなと進言した。こんにち幕府が滅びたのはわしの言うことを聞かなかったからじゃ」と言い放ったと言われている。

耀蔵の出世とその顛末は現代社会に当てはめられたりしたことがあった。相手を蹴落とすという世界はどこにもある。それが陰謀によるものか正当な評価によるものかは、社会の成熟した目だけがそれを正しく判別することができる。ただただ時の権力者に盲従するだけでは耀蔵の暗躍は防げない。

2016.06.27   えんてつ   編集

麦さん、おはようございます。

キリの良い歴史夜話30は鳥居耀蔵の流れで家高島秋帆に登場してもらいます。いろいろ調べてみるとこの人は技術者として魅力があります。


 1832年(天保3年)佐賀藩の支配地であった武雄領主鍋島茂義は家臣平山醇左衛門を長崎の西洋砲術家高島秋帆に入門させた。その2年後には茂義自身も高島に入門し、武雄領では全国に先駆けて大砲製造に努力し、試射を行うまでになった。この西洋砲術の技術は、茂義の実弟で佐賀藩士坂部三十郎によって佐賀本藩に伝えられ、1840年(天保11年)には佐賀神埼の岩田で大砲の試射に成功した。以来、西洋砲術は「佐賀藩の大砲」として全国に知られるようになる。

歴史夜話30
高島秋帆は、1798年(寛政10年)九州長崎町の年寄・高島四郎兵衛茂起の三男として生まれた。先祖は近江高島郡出身の武士で近江源氏佐々木氏の末裔である。1814年(文化11年)長崎会所調役頭取となった。

江戸時代、長崎・出島は日本で唯一の海外と通じた都市であったため、そこで育った秋帆は、日本砲術と西洋砲術の格差を知って愕然とし、出島のオランダ人らを通じてオランダ語や洋式砲術を学び、私費で銃器等を揃え1834年(天保5年)に高島流砲術を完成させた。

都営三田線に高島平駅がある。ここ一帯は東京都板橋区高島平、団地が建ち並ぶベッドタウンとなっている。いまから約168年前は砲術射撃場で徳丸原と呼ばれていた。この場所で大規模な西洋式砲術演習を行い、天下にその名をとどろかせたのが高島秋帆という人物だ。秋帆は現在の長崎市万才町で生まれ育った生粋の長崎人であるが、高島平の地名は高島秋帆にちなんで名づけられた。
 
高島家は代々、町年寄を世襲する名家で秋帆はその11代目に生まれた。今から丁度208年前の1808年、フェートン号事件が起こり長崎港防衛強化の気運が高まっていく。このとき出島の台場を任されたのが秋帆の父だった。1809年、父は幕府から派遣された坂本孫之進に荻野流砲術を学び師範となります。このとき秋帆は父から皆伝を受け荻野流師範となり、1814年からは町年寄見習となって出島台場を受け持つようになった。

 荻野流をはじめとした和流砲術は軽砲に限られていて、フェートン号のような武装艦に対してはまったく役にたたず、高島親子は威力のある西洋砲術に注目するようになった。とくに出島台場の担当にあった秋帆は、実戦経験のあるオランダ人から直接話を聞くことができる環境にあり、1823年に来日した出島商館長スチュルレルなどは陸軍大佐でナポレオン戦争にも従軍した人物だった。

 長崎の町年寄には個人的に好みの品物を注文できる「脇荷貿易」という特権がありました。秋帆は父や実兄で町年寄の久松家へ養子に入っていた碩次郎らの協力を得て、それぞれの名義で砲術関係はもちろんのこと、馬術や自然科学、医学書にいたるまであらゆるジャンルの蘭書を集めました。その数は当時、個人としては国内最大のものだったといわれています。また、秋帆は文献だけでなく、大砲、弾丸、銃など武器そのものも大量に輸入しました。その後、貪欲に西洋砲術を学んだ秋帆は高島流砲術を確立していきます。

 1840年中国・清でアヘン戦争が勃発します。その内容は翌年の風説書で幕府に報告されました。イギリスの軍艦、砲術に圧倒され敗北した清と日本を重ね合わせ危機感を募らせた秋帆は、「わが国の砲術は、西洋では数百年前に廃棄したものであり、今後予想される外国からの侵略を防ぐには、こちらも外国砲術を把握していなければならない」とする「天保上書」を書き上げ、長崎奉行の田口加賀守(たぐちかがのかみ)を通じて幕府に提出します。

上書は老中水野忠邦の目にとまり、1841年5月9日、徳丸原で演習がおこなわれることになりました。幕舎が張られ、老中水野や諸大名らがこの演習を見学し、遠く囲いの外からは一般の群衆の見物も許され、この中には若き日の勝海舟も姿もありました。演習参加の総員は秋帆ら100人。モルチール砲、ホウィッスル砲とつぎつぎに西洋の大砲が発射されました。演習は一発の不発弾もなく成功に終わります。幕府は秋帆の所有する大砲を買い上げ、また演習の労を賞して銀500枚を与えました。

その後、高島流砲術は全国にひろまっていきます。高島親子のはじめた取り組みが日本の兵制に改革をもたらすことになりました。しかし、一方で高島流に批判的な者もいました。妖怪と恐れられた鳥居耀蔵をはじめとする反蘭学派です。

1842年、長崎奉行伊沢美作守(いざわみまさかのかみ)は秋帆ら多くの関係者を逮捕します。罪状は「謀反の疑いあり」というものでした。これは鳥居が秋帆を陥れるために偽装した罪で、その黒幕は老中水野忠邦であったともいわれています。翌1843年、秋帆は江戸伝馬町へ護送され投獄されます。

 1845年、水野が失脚し阿部正弘(あべまさひろ)が老中の実権を握ると、秋帆事件の再調査がおこなわれました。そして鳥居の不正が発覚し、奉行を解任となり丸亀藩(現香川県)にお預けとなります。秋帆は、謀反の罪からは解放されたものの、他のいくつかの軽罪に問われ中追放となり岡部藩(現埼玉県)に預けられることになりました。実は秋帆に言い渡された中追放は遠島から減刑されたものでした。入牢中に起こった三度の火災で逃亡せず、そのたびに牢屋敷へもどってきたことが減刑の理由でした。

開国をせまる外国船がたびたびわが国の近海に出没するようになると、幕府は海岸防衛のための砲台建設を迫られます。ここにきて秋帆の砲術の知識を役立てようと考えた老中阿部は、江川太郎左衛門が引き取るという形で秋帆を釈放します。長崎で逮捕されてから実に10年10カ月もの年月が過ぎていました。

 1853年、自由の身になった秋帆は人生の復活を喜び、喜平(きへい)と名を改めます。アメリカのペリー来航を翌年にひかえ、幕府は諸藩に意見を求めます。そのほとんどが開国反対の攘夷論という状況下、秋帆は平和的開国で通商を、という「嘉永上書」を幕府に提出しました。そして、幕府が出した答えは開国でした。

 幕府は開国を決定後、本格的な西洋式の軍隊をつくることになります。秋帆は講武所砲術師範役、武具奉行格につきという職に就き幕府のために働きます。しかし妻子を江戸に呼びよせた秋帆の暮らしは長屋住まいという質素なもので、かつて10万石の大名にも匹敵するといわれた町年寄の身分にもどることはありませんでした。

 晩年の秋帆は孫の茂巽、妻の香、息子の浅五郎に相次いで先立たれ、1866年の正月69才で亡くなりました。

2016.06.28   えんてつ   編集

えんてつ さん

i-2

3回に亘る鳥居耀蔵のお話でしたが、水野忠邦とも関わりがあるのに、あまり知られてない人物ですね。

陰で、自分に都合の悪い人物を蹴落とす行為。
それが陰謀か正当な評価なのか、社会の成熟した目だけがそれを正しく判別することができる。
時の権力者に盲従する世の中ではいけません、ということを知れ、というお話ですね。


30話は、吉田松陰も投獄された江戸伝馬町、阿部正弘、勝海舟、などの登場で、馴染みやすいお話でした。
思想の違いにより、その時代時代に、誰の権力がものをいうかで、罪人は翻弄されますね。

このたびは、転記するにあたり、少々、PCが思い通りに働いてくれませんでした。
何らかの規制が影響しているかもしれませんね。

2016.06.28   麦   編集

麦さん、こんばんは。

鳥居耀蔵はとっても有名な人物、てか脇役の本命ですよ。
テレビドラマの主役にするには気が引けるのだと思います。
幕末の裏の歴史というか本当の意味で悪い奴です。

武士の政治家ばかりが維新を形作ったのではありませんよね。技術者のような実務者の活躍もありました。

2016.06.28   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-483

鳥居耀蔵は有名人でしたか!
失礼しました (-_-;)


2016.06.29   麦   編集


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