るりとうわた色の空に

このブログのリンク&ブックマーク そして書かれた内容の持ち出しは コメント欄を含めて禁止です


徳川宗春 について


わぁぁぁ ・・・ 
と 感激するほどに
件名 「 なになに~ について 」 なんて書いて なんと久しぶりで懐かしい

その年 新採用で総務課に配属された3人の中で 一人だけ女子だった私は 先輩にとって使いやすかったらしく お茶出しはもちろん よく文書のタイプを頼まれたものです
左上に日付と文書番号 そして何段か改行して 件名が中央にくるようにセットし 「~ について」 と打ち込みます

ワープロ さらにパソコンと進化した今では 女子職員に頭を下げて頼むことはなく むしろ男性の方が文書一枚なんぞ巧みな早業で書き上げ コピー機に必要枚数を打ち込んじゃうんだろうなぁ などと 「徳川宗春について」 の件名から脱線し 何十年も前のOL時代のことを思い出している私って

カメラが入院中とあっては 記すほどの事でもなかったけれど 最後のどんどん焼となった節分の日のこと 畑にて 焚き上げたあとも形を残したままのシメナワの姿が愛おしく スマホをカメラに設定して撮ったつもりが PCに取り込んだら なぜか動画

たいていの外出にはバッグにカメラを偲ばせているので 写真を撮るのにスマホを使うことはないから ・・・ って弁解にもならない ただの機械音痴

あのころのタイプは 鏡文字で五十音順に並んだ活字を文字盤から拾い 何と言ったか名称も忘れた薄い油紙状の用紙に打ち込んだものを印刷機に貼りつけ ローラーで 一枚一枚 手作業で刷ったものでした
ミニスカートが流行っていたころで ご多分にもれず それらしきオシャレをしていたから 洗っても取れないインクが衣服に付くのを避けて 印刷のときはロッカーに吊るしてある 母から貰った割烹着を羽織るのです
ん!
女子職員の割烹着姿!

一枚一枚 手作業で印刷する時代から 時を経て 試験管による細胞の研究にも 女子職員に重宝された割烹着の歴史かな 


さて 割烹着と言うものがあったかどうかの時代に 相聞21 徳川宗春が行ったこととは

・形式よりも中身を大切にした(例:仁・「まこと」を重視する 温知政要・條々二十一箇条 等)
・意味のある祭りを盛んにし、奨励した(例:東照宮祭・名古屋祇園祭(天王)・盆踊り 等)
・人道に反する祭りは禁止した(例:梁川の正月の水掛け、国府宮の裸祭厄男 等)
・奪い合うことや義に合わぬことを禁止した(例:條々二十一箇条 等)
・自分の身にあった遊びは大切であるとした(例:遊廓・芝居・見世物 等)
・法律や規制は少ないほうが良いとした(例:規制緩和 温知政要・條々二十一箇条 等)
・簡単なミスの訴状等の書類を差し戻さず受け入れるように指示した(例:條々二十一箇条 等)
・衣服・家・持ち物等は禁制のある物以外は自由にした(例:條々二十一箇条 等)
・ファッションリーダーを自ら担った(例:申楽(能・狂言)・歌舞伎・朝鮮通信使等の衣装 等)
・心を込めた贈答・饗応を大切にした(例:條々二十一箇条 等)
・庶民と上級藩士が出会う場を提供した(例:御下屋敷や市谷邸のお披露目 等)
・商人との対話を積極的にした(例:岐阜巡行・乾御殿や御下屋敷滞在時)
・六斎市の奨励(歴代藩主の中で、許可した例が突出して多い)
・庶民が喜ぶことをした(例:奴振り・白牛・漆黒の馬と衣装・派手な衣装)
・社会的な弱者を大切にした(例:女性・子ども・身分の低い者の保護)
・死刑をしなかった
・マニフェストであり家訓でもある『温知政要』を執筆し、上級家臣に配布した

できることなら調べて得た結果を纏めて、オリジナルの回答をしたいところですが、こんなに多くては苦しいところです。
およそ約270年続いた徳川十五代の第7代当主。
徳川吉宗の天敵と言うことで悪役のイメージですが、尾張名古屋の礎を築いたお殿様。


ということで、花丸が頂けるか、いかがでしょう?





スポンサーサイト

<< ジンクス 健在  TopPage  最後の どんどん焼き >>

コメント

麦さん、こんばんは。

>ということで、花丸が頂けるか、いかがでしょう?

ええっと、「✿◎!」。

宗春の政策は「温知政要」に集約されていますが、もとは尾張家を継ぐようなことは考えられなかったので、その分、城内よりも巷での生活に興味があったと思います。また、吉宗が紀州家出身だったので張り合う気持ちもあったと思う。35歳で尾張家を継いだというのも自分の意思を貫きやすかったかも知れません。

この吉宗と宗春の政策はいまでも議論になるのですが、近代になって西洋白人社会を崇拝するようになって吉宗も宗春も歴史の彼方へ追いやられてしまいました(笑)。しかし、日本人のDNAにはもったいない意識や倹約意識はしっかり組み込まれているようです。また、宗春の政策はアベノミクスにどこか似ています。宗春の政策は一時的に経済を豊かにしましたが、経済を担う商人から税をとるという仕組みがなかったので商人階級が利益を受けることになりました。その結果、武士たちは商人からお金を借りるということになりました。

相聞22
吉宗の政策はその後のお手本になりました。しかし、幕末、日本が外国に門戸を開いたとき大きな経済問題が発生しました。当時、日本国内での金と銀の交換比率は、1:5 でした。ところが海外では、1:15 の比率でした。ということで銀を日本に持ち込んで金と交換して、その金を海外で銀に戻せば3倍の利益になりました。現代のお金はただの紙切れに値打ちを持たせていますが、当時の貨幣は金か銀で値打ちが保証されていました。さて、幕府は海外への金の流出を防止するために、ある人物を咸臨丸でアメリカへ送りました。そして、この人物は見事にその大役をなしとげて、小判の流出は止まりました。

維新戦争が始まると彼は倒幕派と真っ向から戦うことを主張して将軍慶喜に嫌われて全ての職を解任されてしまいます。そして、一族を引き連れて、領地である上州群馬郡権田村にて隠居生活に入る事になりました。維新が明治政府軍の勝利に終わると新政府から縛を受け、群馬県の烏川のほとりで、明治政府の役人に斬首されました。

さて、この人物とは誰でしょう?

2015.02.09   えんてつ   編集

えんてつ さん

✿◎ ありがとうございます。

これで✿◎じゃないと、ほかに✿◎が頂けるところはありません(^^♪

このところ吉田松陰ブームですが、幕末を愛する幕女さんも現れたとか。
ニセ歴女の、なんちゃって幕女に変身も時間の問題かもしれません(^^ゞ

2015.02.09   麦   編集


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

トラックバックURL
http://maririn620.blog.fc2.com/tb.php/118-24cea7d5




Copyright ©るりとうわた色の空に. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad