るりとうわた色の空に

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清明節はグレゴリオ暦


清明節の前に摘むことから 特に明前茶と呼ばれる優良な龍井茶は今が旬

掃墓とも言われ ご先祖のお墓を掃除してお墓参りをする風習は 日本で7月のお盆に当たり 中国では毎年4月5日前後が清明節ということで 4月5日の前に摘んだ茶葉が明前茶と言うことになります

春節を旧暦で祝うことから 毎年その月日が変化するのに対し 清明節はグレゴリオ暦により ほぼ4月5日と定まっているため 清明節の前に摘む明前茶を優良品とする定義に逸することはありません
実は私は 中国の祝日は旧暦に基づいているものと思い込み <優良な茶葉を摘むときが清明節より前> という変化のある時期に疑問を抱いたことがあったのでした


日本茶にも勝る緑茶の虜となってどれくらいになるでしょう 今年も行って来ました

4月10日 5時起床
羽田へ向かうバスも高速も意外に混んでいて 早朝と言えど油断は禁物

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機内食は和をチョイス


1年ぶりの お国柄
空港からホテルに向かう地下鉄10号線までの僅かな道のりで さっそく苦笑 

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大きな荷物を持つ乗客のためのエレベーターはこちら 
と思しき案内に従って ホームまでを わざわざ遠回りしたところが 
故障中 
ならば案内板の地点で お知らせが欲しいよね

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後戻りし 通路脇に咲いていた八重椿でウップンが晴れたかな




ブルーの翼で上海入りした私と 赤い翼の愛好者と ホテルで合流

ランチタイムが過ぎると 夕食まで休みになるところが多い中で ずっと営業している避風塘は便利

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メニューの写真で選んだドリンク フルーティーで美味しかった


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生春巻を希望した私に 「こっちの方が美味しい」 と彼女
確かに3泊4日のうち 揚子江飯店での夕食に次いで お勧めの絶品
名前は不明でも メニューに画像があるから安心 



恋しくなりがちな和食を すっかり忘れさせてくれるのも嬉しい中華の旅です





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コメント

麦さん、こんにちは。

麦さんのブログはお花も料理も満載ですね。

歴史夜話15を送ります。
あっ、大楠公じゃありません。大楠公は次回にします♪



世に商標というのが権利として認められている。これは現代に限ったことではなくて江戸時代でも基本的に同じである。屋号と売り物の商品名は流行ると真似をするものが現れる。ややこしいのは暖簾分けという制度で、流行り商品の本家争いとなる。

江戸時代、後世、大岡裁きという名で知られた名奉行がいて、本家争いの訴えを見事解決したことがあった。この訴えは今で言う商標にかんすることだった。

歴史夜話15
大岡忠相は、1717年(享保2年)に江戸町奉行に任ぜられその在任期間は20年の長きにわたっていました。世に大岡裁きと言われるモノの中に商標の本家争いを裁いたことがありました。それは江戸で当時「幾世餅」と呼ばれたお餅の話です。

幾世餅はもともと、浅草御門内の藤屋市郎兵衛が考案し、売り出したのが最初だった。短冊形の切り餅を金網の上で焼き、小豆の餡をまぶしたものだという。ところが両国橋の際の小松屋でも幾世餅と称して同じような餅を売っていた。小松屋の亭主は、昔は橋本町のあたりに住む餅の行商人だった。吉原の幾世という遊女を女房に迎え、夫婦で餅を作り、両国橋のたもとで売るようになった。

小松屋の「幾世餅」は、もとは吉原の遊女というのが評判になりよく売れた。商売が繁盛したことから、両国橋の際に空き店があったのを買い取り、橋本町から移ってきた。その後は、女房の名前にあやかり、「両国橋幾世餅」という名称で餅を売った。かつて吉原で幾世の馴染み客だった男たちも商売が順調なのを喜び、相談して金を出し合い、小松屋に暖簾を贈った。暖簾には「日本一流幾世餅」と、藤に丸の印が染め抜かれていた。

この暖簾が評判になっているのを知り、元祖の藤屋もたまりかね、町奉行所に訴え出た。「幾世餅は本来、藤屋一軒でございます。暖簾にも藤に丸の印を用いております。ところが、小松屋が幾世餅と称して商売を始め、暖簾にも藤の丸を染めているのは承服できかねます」

時の町奉行は大岡越前守である。大岡は小松屋の亭主を呼び出し、尋問した。亭主はこう答えた。「あたくしの女房はもとは吉原の遊女でございまして、幾世という名でございました。そのため、人々が自然と幾世餅と言うようになったのでございます。藤に丸の紋所は、女房が吉原にいたころに使っていたものでございます。暖簾はかつての女房の客人からいただきました」 役人が調べると、小松屋の亭主の述べた通りである。

大岡は、藤屋と小松屋の亭主双方を奉行所に呼び出した。「わしに、そのほうらを公平に遇する妙案がある。この妙案に従うか」「謹んで従います」ふたりが承諾した。「藤屋は幾世餅の元祖であることに間違いない。そして小松屋も女房の名の幾世にちなんだものである。双方の言い分はもっともながら、同じく江戸にいるからもめる。

これからは双方とも「江戸一」と看板に記し、藤屋は四谷内藤新宿(今の新宿区)、小松屋は葛西新宿(今の葛飾区)に引っ越せ。ともに江戸一の看板を出し、同じ新宿という地名である。双方に公平であろう」 藤屋も小松屋もそんな辺鄙な場所に引っ越すのは大打撃である。そこで、両者で相談し、訴えを取り下げた。その後は、藤屋と小松屋で「幾世餅」を売り続けた。

 今でもその「幾世餅」は売られているそうな~

2016.06.04   えんてつ   編集

えんてつ さん

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日本茶で、ぜひとも食べてみたい「幾世餅」ですね。

小松屋が妻の名前をとって名付けたのは、事実ですね。
先に、藤屋が「幾世餅」と名付けていたら、偶然の一致?

都内には、新宿が二つありますね。
しかし、都庁のある新宿は、シンジュク、葛飾区のほうは、ニイジュク、なんですね(*^-^*)
そして、都庁のある新宿は、区に昇格していますが、葛飾区のほうは、町なんですね~!
今なら、小松屋さんは納得しないかも( *´艸`)



2016.06.05   麦   編集

麦さん、こんにちは。

お茶は少し苦が目が良さげです(笑)

関西の田舎者のわたしには首都東京の土地はまったくの不案内なので・・・知らないことばかりです。
新宿という地名、今も両方残っているのですね(驚)

仕事で東京へ行く機会があるときは、ここが歌の文句に出てくるところやな~とね。

幾世餅の元祖の藤屋がどうして幾世餅と名付けたのか知りたいところです。

2016.06.06   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-273

お砂糖なしの紅茶に、甘いものも良しですが、
幾世餅には、日本茶、しかも濃いのが合いそうですね(*^^)v、

都庁の方の新宿はともかく、葛飾区の新宿は、地元でも知名度は低いかもしれませんね。

ここが二重橋~ (^^♪

>幾世餅の元祖の藤屋がどうして幾世餅と名付けたのか知りたいところです。

同感です!
藤屋の奥さんも幾世さんだった? 

2016.06.07   麦   編集


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