好きなもの 好きなこと 好きなことば


古くから言い伝えられる <情けは人のためならず> とは その人のためにならないから情けをかけてはいけない と間違って解釈されがちなんだとか

私も 正しくは 他人にかけた情けは自分に戻って来る との教えであると知ったのは つい先ごろのこと
だけど 間違った解釈の方が戒めの言葉としては好きかな
と言うのも 正しい教訓にしては 他人にかけた情に対して見返りを期待する気持ちが見え隠れするような気がするから


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種から育ったフウリンオダマキの初開花


意味としては逆になる <天に向かって唾を吐く> は 他人を批判をすると その不心得に対して それなりのものが自分に返ってくる ということでしょうか

私は 他人様を批判できるほどの者ではないので そのような事態に直面することはないと思っているけど 時には他人の言動が腑に落ちなかったり 私の常識では許せないと思える事に対して 私なりの気持ちを文字にすることがあり それは もしかしたら他人への批判だとして 受け取られる可能性はあるかも

悪意ではなく 私が思うままを発信した結果で それまでの疑問が溶けたとしたら嬉しいだけのこと


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コボレダネで鉢いっぱいに ゲラニュウム・ピウンギナツム



人を批判すれば自分に戻ってくる という戒めの言葉は ネット世界の聖人君子ならではの教訓のようで 実際は その言葉そのものが blogを書く者に対する批判なわけで いずれ そこらへんで渦巻いているものが 聖人君子風のところへ戻っていくっていうことかな


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夏が近づいて グリーンアイスという名の涼しげなミニバラが開花



好きなものは <宇宙の広さ>

好きな言葉は <奥が深い> 


大きな花にも小さな虫にも 大きな事にも小さな言葉にも 好きな事にも好きじゃないものにも 常に同じ目線で平等に対応する 広くて深い聖人君子とは ちゃらんぽらんでは有り得ない ・・・・・







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コメント

戦後、女性として最初の文化勲章を受賞し、尚且つ息子もまた文化勲章を受章した女流画家がいた。女性の社会進出を嫌う保守的な日本画壇の中で明治、大正、昭和初期を女流画家として生きぬいた彼女は、言語を絶する苦労をした。その苦労については「戦場の軍人と同じ血みどろな戦いでした」と、晩年になって人生を振り返っている。なかでもひどいことは、大切な展覧会に出品した美人画の顔に落書きされるという嫌がらせを受けた。

歴史夜話14
上村松園(しょうえん)は、1875年(明治8年)京都の葉茶屋の生まれで、本名は津禰(つね)という。父は生れる2ヶ月前に他界していたため、母が女手一つで育て上げた。子どもの頃から絵がたまらなく好きだったので、小学校を卒業すると、京都に開校したばかりの日本最初の画学校に12歳で入学する。

しかしカリキュラム中心の学校よりも、尊敬する画家を師匠として、その内弟子となって修業する方が身になると思い翌年の1888年に退学し、鈴木松年に師事する。その後、めきめきと腕をあげる彼女は「松園」の号を与えられた。親戚や周囲には彼女のこうした生き方を非難する声も多かった。明治の世では「女は嫁に行き家を守ることが最上の美徳」とされており、教育を受けたり絵を習うということはそれだけで中傷の対象だったのだ。

1890年(明治23年)第3回内国勧業博覧会に出品した「四季美人図」が英国皇太子コンノート殿下の買上げとなり、彼女は15歳にして一等褒状を受け、「京に天才少女有り」とにわかに世間から注目されるようになった。そして新たな画法を学ぶべく師匠を幾度と変えていった松園は、20歳から京都画壇の中心人物・竹内栖鳳(せいほう)に師事する。

ところが27歳で妊娠した。相手は最初の師匠松年と言われているが、先方に家庭があるため松園は多くを語っていない。彼女は未婚の母の道を選び、世間の冷たい視線に耐えながら長男松篁(しょうこう)を出産する。息子松篁は成長して画家になり後年母に次いで文化勲章を受章することになる。

松園は私生活がどんな状況でも、早朝から絵の勉強を怠らなかった。その絵筆はますます冴え渡り、各地の展覧会・博覧会でその作品が高く評価された。飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍する松園は、「女のくせに」と、ライバルの男性画家たちから激しい嫉妬と憎しみの対象になった。それは晩年に松園が「戦場の軍人と同じ血みどろな戦いでした」と記すほどで、女性の社会進出を嫌う保守的な日本画壇の中で、ひたむきに、孤高に絵筆を握り続けた。

誹謗や中傷が渦巻く中、1904年(明治37年)29歳のとき展覧会に出品中の「遊女亀遊」の顔が落書きされるという酷い事件も起きる。会場の美術職員から絵を前に「どうしますか」と尋ねられた松園は、「そのまま展示を続けて下さい。この現実を見せましょう」と語ったという。

松園は美人画が得意だった。女性が美人画を描くとどうなるか?男の絵師と違ってモデルに対する攻撃性がないので、まず輪郭線などに得も言われぬ丸みが出るそうな。大抵の場合、男の絵師はモデルを画中で征服すべく、あれこれ目に見えぬ格闘をしているのでこうはいかないらしい。また、松園の描く美人の特徴は何と言っても髪の美しさにある。あの髪を見た人間は、誰もが目を奪われるだろう。うなじなど髪の生え際が、真綿のように柔らかく描かれている。

しかし、社会の偏見とは敢然と戦った松園だったが、40代に入って年下の男性に大失恋し、スランプに陥ってしまう。そんな中1918年(大正7年)43歳のとき生れた作品が問題作の「焔(ほのお)」だった。清らかな美人画を描き続けてきた松園が刻んだ、女の怨念の世界だった。題材となったのは、光源氏の愛人・六条御息所が、正妻の葵上に嫉妬して生霊となった姿だ。

1934年(昭和9年)影で松園を支えてくれていた母が死亡する。その2年後の1936年(昭和11年)61歳の松園は人生代表作となる「序の舞」を完成させる。それは女性が描く「真に理想の女性像」だと言われている。様々な苦悩を克服して描かれたのは、燃える心を内に秘めるが如く、朱に染められた着物を着て、指し延ばした扇の先を、ただ真っ直ぐに、毅然として見つめる女性だった。

鏡の前の赤備えの女性と「序の舞」はどこか重なるところがあるように思う。

2016.06.03   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-483 

今回は、ぐっと分かりやすいお話でしたね。
大楠公の予習もしなければ、と思っていましたが(*´▽`*)

波乱万丈の人生の中に、ライバル画家からの嫉妬もあったりで苦労は多くても、受賞で報われたのですね。
<焔>を検索したら、たくさんの絵が現れました。
ファンというか、焔を描くに纏わる事情から、隠れファンが多いのでしょうか。

赤備えで六文銭を握っていたら、怖い女性ですね~!

2016.06.04   麦   編集

麦さん、きょうは午後からビラなんかを撒いて歩く予定なんですが、半分リハビリかなと・・・・笑い

>赤備えで六文銭を握っていたら、怖い女性ですね~!

このスタイルはニセ歴女を見破るポイントだと思います(笑)

ニセモノがホンモノになろうとするとき、ホンモノ以上の情熱とエネルギ-がいるのではないでしょうか!
モノの始まりはどれもこれもニセモノから出発です。

2016.06.04   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-321 えんてつ さん

お疲れさまでした、それでリハビリの効果は?

最近のニセモノは、うまくできていますからね~!(*^-^*)
見破るのも難しいかと。


2016.06.04   麦   編集


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