るりとうわた色の空に

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自慢って言うか 謙遜って言うか

 
給食と 休み時間と 体育が嬉しくて 小学校に通った我が家の長男
 
風邪気味でも体育は参加 元気でも算数は 見学
運動会の徒競走では ゴールまじかまで2位の位置にあり テープを切る寸前に滑り込みで1位を獲得し 担任から 「かけっこで滑り込みはセーフじゃないんだよ」 と諭され

そんなこんなで大人になって 車で一時間ほどのところに暮らす長男が 久しぶりに顔を見せた

そのままにしてある自分の部屋を 探し物ついでに 今年の最高気温を記録したらしい暑さの中 大汗かいて大掃除

父親は出勤により不在なので 一段落したところで 「お昼ご飯は どこか美味しいものを食べに行こうか」 と誘った

4人家族のころより外食を好まないハタラキバチさんだったから 外で食事をしたい私にとって息子の来訪は有り難く 事情を知る息子は快諾

道すがら 久しぶりに息子とのドライブで 私の口が弾む


DSCN6773.jpg

今年も 水草・タヌキモが一輪だけ
 

確定申告の時期になると 大学卒業後も 数年間 無収入だった息子のところに 
<成人した麦さんの息子さんの納税についての調査> があり その都度 私が <父親の収入で食べております> の状況を代書して届け出たものでした

やっと 息子が扶養家族から抹消できたことを 感慨深く口にすると 

「フヨウカゾクって どんな字?」 と 問われ

あらまぁ 理系なのは承知の上だけど 扶養家族の漢字さえ知らないのかと嘆きつつ

テヘンにオット と 養う で ・・・ と 教えてあげたつもりの私でしたが

「それは知ってるけど 別の字かと思って ・・・」


DSCN6779.jpg

オモダカとウォータークローバーの寄せ植え
 

あわゎ~
どうやら母は 実の息子に <僕は不要家族> と認識させてしまったらしい

帰りがけに 冷蔵庫にあった和牛と ここのところ高値の野菜などを持たせまして 相変わらず扶養家族の域からは抹消できないようで ・・・

あっ!
私の 可愛い可愛い 必要家族です

念のため 


 

 
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コメント

今日は(^_^)
まあ〜
何処かとよく似てます(°_°)
我が家の息子も、大学卒業後 、数年自分の目標の為に、親のスネかじりでしたわ。

父親の仕事を見て、全く畑違いの安定した職種を
選択した結果です。

子離れ出来ない母から
つがいになって、飛び立って行きました。

親バカですから〜
我が家も麦さんと同じ様に
買い置きの食材を持たせます(*^o^*)
(和牛はありませんが(笑))

扶養家族だった時には、聞かれなかった感謝の言葉に、、、
単純な私は、乗せられているかも☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

2015.07.13   h.j   編集

h.j さん

あら~、そうでしたか~(*^-^*)
h.jさんにも、必要な扶養家族がいらっしゃるのですね。

蛙の子は、蛙でなく何になったのでしょう。
親としては、安定した職種は安心ですね。
スネをかじって、親孝行(^^)v
ツガイでの巣立ちなら、さらに安心ですね。

息子は、持っていく? って言えば何でも持っていきます。

まだ、感謝の言葉は聞いたことがありません(-_-メ)

何年か前に、ハタラキさんが祝ってくれた何かの記念日のケーキには、ありがとう、って書いてありましたっけ、、、(*^^*)


2015.07.13   麦   編集

麦さん、こんばんは。

息子さんと良い時間が流れましたね。
関西お笑いなら常々不要家族で、たまに扶養家族かもね。

うちにはまだ、ときどき不要家族ちゃうか~と
言いたくなる娘がいてるんですよ。
棲家もおねえちゃんのところだったりこちらだったりと好きホ-ダイしてます。

今年の誕生日にお姉ちゃんから、これからは、お母さんを大事にしてあげてね~というメ-ルがきました。
いっつも大事にしてるけど~と返事したら、ときどき言葉の暴力あるってききましたよ、だとさwwww

はやくいい人が見つかると一安心なんだけどね。

2015.07.14   えんてつ   編集

えんてつ さん

久しぶりの、ふれあいでした(*^-^*)
うちの息子は、もしかしたら関西人の生まれ変わりかもしれません。
いつも、面白いことを言うんですよ。

親の元を離れないのは、見方を変えれば、最高の親孝行です(^^)v
好きホーダイ、したいときには親はなし、、、、ということのありませんように(≧▽≦)

言葉の暴力、、、お母さんから届け出があるのでしょうね~( *´艸`)

お嬢さんにとって、お父さんとお母さんが、最もいい人なのでしょう。
お嬢さんを、大事にしてあげてくださいね~、と私よりの v-5


   

2015.07.15   麦   編集

麦さん お誕生日おめでとうございます。

歴史夜話23を送りまっす。


近江の国は中心に琵琶湖がありその周りを山脈が囲んで盆地になっている。なので近江の国の出入りには必ず山越えになる。そして琵琶湖周辺は季節ごとに風景が様変わりする。その風物誌は江戸時代には「近江八景」として謳われてきた。その一つに「粟津の晴嵐」というのがある。

京都へ向かって旧東海道を歩くと、瀬田あたりから美しいびわ湖の展望が開けてくる。江戸時代には瀬田から膳所へと続く湖岸に松並木があり、びわ湖の景観をより一層美しく見せていた。「晴嵐」の語源は、強風に松の枝葉がざわめく様子を言い表しているとか、歌川広重は、湖岸の松並木沿いを歩く旅人の姿を浮世絵に描いている。

旧東海道より湖岸側に整備されたなぎさ公園は4.8㎞にもわたる長い公園で、散歩コース、ジョキングコースとして人々に親しまれていて、ここには「粟津の晴嵐」の石標がある。高校の卒業アルバムのわたしたちのクラスは、ここで記念写真を撮った。近くには膳所城跡もあって景色の良いところだった。

平安時代から鎌倉時代になろうというころ、ここ粟津でひとりの武将が戦いに敗れた。平家を倒すために立ちあがった源氏でしたが、源頼朝は、足並みがそろわなかった木曽義仲(木曽殿)を討つことにした。木曽義仲は部下を率いて反撃するも、源頼朝の軍勢に敗れて京都を脱出した。追手をかわしながら逃げていましたが、ついには乳飲み兄弟の今井四郎という部下と二騎だけになってしまった。

歴史夜話23
平家物語は木曽殿の最期を伝えています。

今井四郎と木曽義仲はたった2騎になってしまいました。木曽義仲が 「不断ななんとも感じない鎧が今日は重たく感じるな。」とおっしゃったので、今井四郎は 「お体は疲れていませんし、馬も弱ってはおりませぬ。どうして一領の鎧が重たいと感じましょうか。(重たく感じる理由は)味方の軍勢がいなく臆病にお思いになるからそのようにお感じになるのでしょう。私、兼平(今井四郎)一人だけではございますが、私のことを千騎分だとお思いください。矢がまだ7、8本残っていますのでしばらく追手を防いでおきましょう。あそこに見えるのは粟津の松原と申すところです。あの松林の中で自害ください。」

そう言って馬を進めていくと、また新手の敵が五十騎ほどが現れました。 「殿、あの松原は粟津の松原と申します。あれにお入りください。敵は私が引きとめます。」と今井四郎が言ったので、これを聞いて木曽義仲は、「この義仲は、都で死ぬ機会があったのにもかかわらずここまで逃げてきたのは、お前と一緒に死のうと思ったからだ。別々の場所で討たれるよりは、同じ場所で討ち死にしようではないか。」とおっしゃって、今井四郎の乗った馬と自分の馬の鼻先を並べて同じ方向に駆けようとしました。(これを見て)今井四郎は馬から飛び降り、木曽義仲の馬をつかんで

「武士というものは、日ごろどんなに高名があったとしても、死に方を間違えると永遠に不名誉がつきまといます。殿のお体は疲れていらっしゃいます。それに味方の加勢はもうありませぬ。敵におされ、私と殿が引き離されて、名乗るほどでもない人(身分の低い人)に囲まれ、そして討たれて、『日本に名高い木曽義仲殿を俺が打ち取ったぞ!』などと言われたら、無念でなりません。松原の中にお入りください。」

と言ったので、木曽義仲は 「そのように言うのなら。」と言って、松原に馬を走らせました。そのとき遠くから敵の軍勢が近づいてきました。

今井四郎はただ1騎だけで、50騎ほどの相手軍勢の中に駆け入り、鎧を踏ん張って立ち上がり、大声をあげて名乗った。 「日ごろ耳にすることがあるだろう、そして今は見たまえ。木曽殿の乳母の子、今井四郎兼平、33歳が参った。このような者がいることは鎌倉殿の御耳まで届いてあろう。この兼平を討ち取ってお目にかけよ。」

こう言って、残した八本の矢を、弓にさしては引き、さしては引いた。矢が当たった相手の生死はわからないが、敵8騎を射落とす。その後に、刀を抜いてあちらこちらで馳せ合いをし、敵を切ってまわると、向かってくる者がいなくなった。敵の命を多く奪ったのである。

「弓を射ろ」といって、兼平を取り囲んで雨が降るように矢をあびせるのだが、兼平の鎧がよいので、兼平の体に矢が刺さることはない。鎧と鎧の間も射られないので、傷は負っていない。

木曽殿はただ1騎で粟津の松原に向かっていかれるが、この日は1月21日の日没の頃だったので、寒さで薄い氷が張った深い田んぼがあるとも知らずに、その田んぼに馬を進めてしまったので、馬の頭が見えなくなるほど沈んでしまった。

馬をあおっても、むちで打っても前には進まない。木曽殿が今井のことを気になって振り返ったとき、木曽殿の兜の内側を、追っかけてきた三浦の石田次郎為久が、矢をひいてふっと射た。木曽殿は深手を負い、兜の正面を馬の頭にあててつっぷしているところに、石田の家来が2人やってきて、ついに木曽殿の首を取ってしまった。

木曽殿の首を刀の先にさして、それを高くあげて、大声で 「常日頃、日本中で名高い木曽殿を三浦の石田次郎為久が打ち申し上げましたぞ。」と名乗ったので、今井四郎はこれを聞いて、 「こうなってしまっては、誰をかばって戦う必要があるだろうか。東国の武士たちよ、これを見よ。日本一のつわものが自害する手本だ。」

こう言って、刀の先を口にふくんで、馬から逆さまに飛び落ちて、刀で首を貫いてしまった。 このようにして、粟津の戦いは終わったのである。

朝日将軍と呼ばれ、鳥飛ぶ射抜く勢いで平家を都から追い落とした木曽義仲でしたが、近江粟津の深田で首を取られたのでした。武士の名誉ある死を願った今井四郎兼平でしたが負け戦で弱気になった主人を庇いきれなかったのですが、いにしえの主従関係を彷彿とさせる物語でした。


2016.06.21   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-315

一日遅れですが、ありがとうございます(^▽^;)

23話は、ここに着地したのですね。
去年、お尋ねしている関西方面の方のブログで、歴史講座を受講しておられるかたが、木曽義仲について記事にいたので、こちらでも探してみたのですが、残念ながら、この時代の講座は見つかりませんでした。

一部分の突発的な、
負け戦で弱気になった主人を庇いきれなかった、いにしえの主従関係を彷彿とさせる物語
面白かったです。


名乗るほどでもない人(身分の低い人)に、『日本に名高い木曽義仲殿を俺が打ち取ったぞ!』などと言われたら、無念でなりません。

と言った今井四郎ですが、
主の首を打ち取られた、石田次郎為久、そして石田の家来二人に、不足はなかったのでしょうね。

2016.06.22   麦   編集


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