小学生並みの疑問

 
今年は雨が多いとか 今年の夏の暑さは厳しいとか その年 その年で 例年と異なって感じる季節の移ろいを口にしても 統計のメモが残っているわけではないので いつもと どれほどの差があるかは 漠然としたもの

だけど 今年も 如実な違いを口にできることが ひとつ あります

外を歩くと どこからともなく漂う香りから  金木犀が咲いたことを知るのは いつも10月10日前後でした
かつて 体育の日が10月10日と決まっていたころ 金木犀の開花は 東京オリンピックの開会式の日とセットになって私の脳にインプットされていたものです

今年はと言えば
我が住まいの周辺で咲いた銀木犀は 既に散って跡形もなく 金木犀も 満開の見ごろは過ぎて ほとんどが散り終えようとしています
今年の10月10日には 金も銀も香ることなく 葉ばかりの木々は 涼しげな風の香りを運ぶことでしょう 

春の訪れによる 気温の上昇で咲く花は数知れず 例年よりも早く金木犀が咲いたのは 地球温暖化のせい と 単純に思って やり過ごしたのでした


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爆弾低気圧との情報に すくすくと育ちつつある コウテイダリアの先端を保護しました

まだ 蕾らしき兆候は見当たらず これからでも霜が降りるころの開花に間に合うのかなと思ったところで 小学生のような疑問がふつふつ ・・・ 
 
そう言えばクリスマスローズは 晩秋のころから まだかまだかと 株の中心を覗きみるのが恒例になっているし オンシジュームは 管理次第で 季節を問わず花茎が上がります


久しぶりに花

DSCN7772.jpg

置き場を変えて まもなく花茎が上がったオンシジューム


コウテイダリアは 炎天下で幹が育ち 完全に暑さが遠のいたころになって蕾の気配を感じ 霜が降りる前に花を咲かせます

そうか 花は 必ずしも暖かくなって咲くとは限らないのだから
温暖化により 地球の温度が これまでよりも早く高まったから 金木犀が早く咲いたという図式は成り立たないわけです

10月10日の平均気温は 20℃未満とあります

暑さの峠を超え 気温が下がるのを待って咲く金木犀が 今年は なぜ こんなに早く咲いたのか 小学生並みの疑問に悩める麦

暑さ寒さも彼岸まで との言い習わしも今年は当てはまらず お彼岸のころには 早や金木犀が花開く10月10日ごろの気温になっていたのかなと 植物学者並みの麦でもあります




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コメント

今日は(^_^)
昨夜の風雨は凄かったですね。
目が覚めてしまうほどでしたが、
そちらは如何でしたか?

金木犀そういえばと思い、今お隣の木確認して来ました。
もう花もつけて無いのか、みどりの葉だけでした。
殆ど香りに気が付かずに咲き終わってしまったのでしょうかね。

いや、もしかしたらまだ花が咲いていないとか、
???が暫く続きそうです(≧∇≦)

2015.10.02   h.j   編集

麦さん、こんばんは。

皇帝さんかなり大物なのかな~花が楽しみですね~♪

我が家の金木犀も開花は早く10月になる前に散りました。

以下、大昔の記録です・・・・・・・・
春から秋の間に開花する花木は、冬の寒さにどれだけ当たったか、そして春先からどれだけの暖かさに当たったかという二つの温度要因が開花に関係しています。体内に花芽が出来るのも温度の効果です。いまの園芸界では熱帯性の花木を普通に栽培することが増えていますが熱帯における開花時期と大きく違ったり、開花しないことも多い。基本的に春咲きの花木は冬の寒さにさらされた積算時間、秋咲きの花木は春からの暖かさの積算時間が支配的だと言われています。また果樹などの実のなるものは、実の総量が多いと樹勢が落ちて花芽形成に影響します。また葉の寿命は温度より光の影響のほうが大きいことが検証されています。


捕われる疑問ふつふつ花のさま ~♪

2015.10.03   えんてつ   編集

i-260 h.j さん

こちらも、けっこう強い風が吹いていましたが、思ったより爆弾と言うほどでもなかったかな、という感じです。

金木犀が、今の時点で蕾が見当たらなければ、もう咲き終わったのではないでしょうか?
香りに気付かなかったというのが気になりますが。

ププッ!
h.jさんの???が、早く解決しますように(*´▽`*)


i-260 えんてつ さん

今年は3本のコウテイダリアが育ちましたが、花が望めそうなのは1本で、3m近く伸びています。
去年は、そろそろ花芽というころに強風で先端が折れてしまったので、今年は咲いて欲しいです。

やはり金木犀が、そちらも9月中でしたか。
珍しいことですよね。

ありがとうございます。
チューリップは前年の内に芽を出させて、北風に当てると良い花が咲く、と言われますよね。
そう言うことの実証の記録ですね。
このたび私もググってみたのですが、金木犀は花芽が出来てから咲くまでが短い花、ということは解りましたが、何で今年は早いのかは解りませんでした。
夏の間に花芽が形成されるようです。

今年の金木犀も、光と温度に影響された結果であることは、間違いないということですね。
正解は出ていませんね?
小学生並みの植物学者としては、やはり、9月中に、例年の10月10日頃の気温が続いた、という説が有力です(^▽^;)、


2015.10.03   麦   編集

麦さん、おは~♪

きょうの当地は快晴、6時の気温はなんと9℃でした。
身震いしましたが気持ちの良い朝です。

ブル-ベリ-での温度の影響を利用した考え方を
説明したものがありました。
長いですが、暇なときに読んでみてください。





https://www.google.com/patents/WO2012161351A1?cl=ja&dq=ininventor:%22%E5%B0%9A%E7%BE%8E+%E5%A0%80%E5%86%85%22&hl=en&sa=X&ved=0CCYQ6AEwAWoVChMIvv3LieSkyAIVIyCmCh21TwAj



1996年に植物栽培に土は必須のアイテムではないという結論がでました。いま各地で水耕栽培が盛んですが、水はけという見方では水耕栽培はお風呂に入りっぱなしということになりますよね。でね、こんどは水も必須のアイテムではないかもしれないという考えがでてきました。

あっ、すんまへん~朝からブログジャックしてしまいました。

2015.10.03   えんてつ   編集

えんてつ さん



3日の朝の、元気な挨拶ですね!
出かける前に拝見しましたが、慌ただしくて、、、見て見ぬフリして出かけてしまいました(^▽^;)

4日の夜の、こんば~♪ です。

もう10℃を切りましたか!
ヒーターをつけたい冬の気温ですね。

ジャックされて、コメント欄が、だんだん専門的になっていますね。
ブルーベリーについて、サイトの、ご紹介ありがとうございます。

まだ暇な時がないので、開いては見ましたが読んでいません。
土も水も必須アイテムではない、とすると、温度に秘密がありそうですね。


2015.10.04   麦   編集

歴女相手の歴史夜話の内容は個人的な好みで歴史を眺めているので、はた目ではあれれ~が多いだろうけれど、それは仕方がない。

「幕末の四賢侯」という呼び方がある。四賢侯とは、越前福井藩第16代藩主・松平春獄(松平慶永)、宇和島藩第8代藩主・伊達宗城、土佐藩第15代藩主・山内容堂(山内豊信)、薩摩藩第11代藩主・島津斉彬を指している。彼らは一大名として藩政だけでなく幕政にも積極的に参加した。特に将軍継嗣問題では一橋慶喜を推した。しかし、井伊直弼が大老となり安政の大獄が始まると、将軍は直弼の推す徳川慶福に決まり、第14代将軍徳川家茂が誕生することとなった。ここで彼ら四賢侯らは謹慎の身となる。

直弼が桜田門外の変で倒れると謹慎は解かれた。一線を引いた隠居の身でありながらも、彼らの藩政・幕政への影響力は健在であった。しかし明治維新後、新政府の要職に就くも、彼らは幕藩体制を維持する公武合体を目指していたため志士たちと政治観が異なったため、やがて職を辞した。

しかし、激動の時代に幕末の四賢侯と呼ばれるようになった背景には、かれらに強いブレ-ンが付いていた。逆に言うと聞く耳を持っていたということが言える。

歴史夜話13
第16代越前福井藩主の松平春嶽は1828年(文政11年)9月2日に田安徳川家第3代当主・徳川斉匡の八男として生まれる。諱は慶永(よしなが)で春獄は号である。1838年(天保9年)に福井藩第15代藩主・松平斉善の養子となる。斉善が死去すると11歳で16代藩主となった。

春嶽が生まれる前年には、モリソン号事件が起こった。モリソン号は非武装の船でマカオで保護されていた日本人漂流民ら7人を乗せて、日本への送還と通商・布教のために浦賀沖に来航してきた。しかし浦賀奉行が異国船打ち払い令に従って砲撃したため退場し、次に西行し薩摩半島南端の山川港に来航したが、ここでも薩摩藩の砲撃を受けたため退去した。こうしたモリソン号に対する幕府の対応処置について高野長英や渡辺崋山らが批判するところなり、やがて蛮舎の獄となる。

若い福井藩主春嶽には中根雪江らが補佐としてついたが、1849年(嘉永2年)に熊本藩士の横井小楠を知ると彼を通じて本格的な藩政改革・幕政改革に取り組んだ。1853年(嘉永6年)のペリー来航の際、春獄は攘夷派で海防強化などを訴えていたが、後に阿部正弘との交流などを経て開国派へと転じた。これはじつに横井小楠の影響が大きい。

横井小楠は、形骸化してしまった儒学を痛烈に批判し、現実に根ざした学問、「実学」を説いて全国的に知られていた。1858年(安政5年)、49歳の時に越前福井藩の松平春嶽に招かれ、藩の財政改革を実践指導した。特に由利公正と共に実施した、増産した絹や生糸を長崎で売却して農民に還元するという富国策は大きな成果を挙げた。

1862年(文久2年)、春嶽が政事総裁職という大老よりも格上のポストにつくと、小楠はそのブレーンとして幕政改革と公武合体を推進した。1863年(文久3年)4月、坂本龍馬は、勝海舟の使いで福井藩の松平春嶽を訪問した。目的は海軍の軍資金の調達だったが、このとき龍馬は、「海軍をおこし兵威を強くせよ」と説く小楠の助力を受けて、多額の軍資金を得ることができた。この時、小楠と龍馬と由利公正の三人は国を憂い、大いに語り合ったという。

勝海舟は氷川清話のなかで、「俺は今までに天下で恐ろしい者を二人見たよ。それは、横井小楠と西郷南洲であった。・・・・横井の思想の高調子のことは、俺などとてもはしごをかけても及ばぬと思ったことがしばしばあったよ」と書いている。小楠は、西郷や勝を始め、坂本龍馬・橋本左内・木戸孝允等にも強い影響を与え、竜馬の「船中八策」「大政奉還」はもとは横井小楠の教えそのものであり、維新後の日本が国是とした富国強兵も、小楠が唱えたものだった。

小楠の力量が評価される中で武士の妬みであろうか「士道忘却事件」がおこり彼は失脚する。しかし、小楠の偉大さを知る西郷隆盛らから、明治政府に招かれ、制度局判事や参与に任じられた。そして、小楠の雄大な構想を実現できぬうちに、1869年(明治2年) 1月5日、尊攘派の浪士たちによって暗殺された。小楠の死は、近代日本のスタ-トにとって大きな損失となったが小楠の感化を受けた人材が明治を支えた。

 近代日本の国家建設において、富国強兵は急務でそれはまさに横井小楠が唱えた政策でした。小楠の富国強兵策は、福井藩主・松平春嶽に提出した『国是三論』に論述されています。『国是三論』は、富国・強兵・士道の三論より成ります。言い換えるとそれぞれ経済論・国防論・道徳論にあたります。そして、そのまま日本国の方針ともなるものとして書かれました。小楠はそこに、世界を念頭においた近代日本建設のグランド・デザインを描いたのです。

第一である富国論は、殖産興業と通商交易の必要を論じ、民生を安定させ国を富ませる方針であり、小楠は福井藩でこれを実践し、藩に繁栄と成功をもたらした。

第二の強兵論は、列強のアジア進出のなかで、海軍の創設こそ強兵と説き、同じ島国から世界に雄飛した大英帝国に例をとり、イギリスに匹敵する海軍を創る方針を説いた。そして小楠は富国強兵を説きながらも、その限界があるとして・・・・・

さらに重要なものとして、第三に士道論を説いたのです。「士道」とは、儒学や武士道に基づく東洋的な政治道徳をいい、小楠は、富と力を生かすために、己を修め人を治める「修己治人」の道を強調した。

「国是三論」は、次のように書かれている。
「万国を該談するの器量ありて始めて日本国を治むべく、日本国を統摂する器量ありて始めて一国を治むべく、一国を管轄する器量ありて一職を治むべきは道理」と示し、勝海舟を感嘆させました。

幕末、攘夷の興奮が国内に満ち、多くの日本人が外国人を極度に警戒していた時、小楠は悠然とこう主張しました。外国人もまた日本人と同じ、「天の子」ではないか。そうであれば、外国と接するには、天地仁義の大道をもってしなければならないと。

堯舜孔子の道を明らかにし 
西洋器械の術を尽くす
なんぞ富国に止まらん 
なんぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ

これは暗殺される二年前、米国に留学する甥に、はなむけに送った、小楠の言葉です。
「わが日本国は、尭舜や孔子の行った東洋古来の道徳を明らかにし、また進んで西洋の科学技術を我が物とすべきだ。新しい国家の方針は富国強兵だ。しかし、目的は富国や強兵にとどまらない。日本の使命は、充実した国力をもって、大義を世界に広めることにある」

そして最後に特筆すべきは、この小楠の理想は日本の右翼思想の源流になったことです。日本で保守を論ずる面々は小楠の意を汲むべきだろうと思います。
「西洋の学はただ事業上の学にて、心徳上の学にあらず。心徳の学無きがゆえに人情にわたることを知らず。交易談判も事実約束を詰めるまでにて、詰まるところ遂に戦争となる。戦争となりても事実を詰めてまた賞金和好となる。人情を知らば戦争も停むべき道あるべし。事実の学にて心徳の学なくしては、西洋列強戦争の止むべき日なし」と。

2016.05.22   えんてつ   編集

v-484 えんてつ さん

この時代のお話は、楽しみです。
(13)話のヒロインは、松平春嶽、横井小楠でしょうか。
どちらも、竜馬や西郷隆盛と同様、幕末の政治に大きく関わっているのに、名前はあまり知られてないですね。

尊王派の小楠は、尊攘派に暗殺された?
私が、正確に理解してない?

特筆すべき小楠の思想は、注目すべき言葉ですね。



2016.05.25   麦   編集


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