オネエサンのリース

 
ワンちゃんの散歩で 我が家の前を一日に何回か通りかかる奥さん

おおよそ80歳くらいで
お若いころは 北川景子さん似ではなかったかなと思われる 小柄で可愛らしいかた

「オネエサンの姿が見えると こっちに飛んでくるんですよ」 
と 玄関前で花の手入れをしていたりする私に飛びついて喜ぶワンちゃんを愛でながら お会いするたびに仰る

確かに 私と相性が良いのか あるいは私から犬の匂いがするのか 駆け寄っては纏わりついて 私の衣類が汚れたりすると奥さんが気にされるが いつもジャブジャブ洗える衣類だから 一向にかまわない

「ごめんなさいね オネエサンのことが大好きなんですよ」



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オキナワスズメウリの実を柊の枝にあしらって クリスマスリースを作りました
 


赤と緑の混合で この時期に相応しいクリスマス・カラ-

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秋が深まるにつれて葉が黄ばみ落葉したあとで茎が露わになるのが難だけど



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ポインセチアも登場しました
 

 
クリスマスバージョンとなった我が家の玄関前を 今日も 北川景子さん似の奥さんとワンちゃんが お散歩


ふふっ!
柊の枝とオキナワスズメウリでリースを作り クリスマスモードの我が家です ってだけのことなんだけど ね

オネエサン って言ってくれるのが嬉しくて  







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コメント

今日は(=^ェ^=)
ふふ、、、。オネエサンですか。
はずかし、、嬉しですよね。
幾つになってもオネイサン良いですネ。


麦さんのお宅はもうクリスマス仕様ですか。
オキナワスズメウリのリースよく出来て素敵です。(*^o^*)

気のせいですか
輪っかが少し大きいような。

2015.11.27   h.j   編集

h.j さん


今日の呟きは、クリスマスリースをオキスズと柊の枝で作りました、ということなんですけどね( *´艸`)
オネエサンって、呼んで下さる方がいることも、書いておこうっと!
オネエサンが、良いですね。
たまーに、お嬢さん、って、何かを売るために声を掛けられると、白々し過ぎて・・・(*^^*)

暖かい秋が長くて、クリスマス仕様は早い雰囲気ですが、もうすぐ12月なんですね~!
今年のリースは、私もお気に入りです (^‐^☆)

あ~! やはり~、、、
気のせいではないですよ~!
芯に、胡蝶蘭に使う支柱を用いたのですが、これが丈夫で、なかなか曲がらないんですね。
やっと、ここまで丸くしました。
かといって、細い支柱ですと、型崩れしそうなので、楕円よりは、大きくても丸い方が良いかな、と、、、
そんな裏事情をご了承の上、お楽しみください~(^_-)-☆



2015.11.27   麦   編集

倒幕という言葉は江戸時代の終焉に使われるが、日本の歴史の中ではもう一つの倒幕があった。平安時代に登場した武士階級は、源氏をして天皇を中心とした公家階級から権力を奪取させ、鎌倉幕府を開き名実ともに日本を統治した。その後、後鳥羽天皇は武家に奪われた支配権をふたたび公家・貴族階級に取り戻そうとし、武家の力を利用したが結局は成功しなかった。そして後醍醐天皇の時代になってそれが一時的に実現する。

いつの時代も倒幕の裏には決定的な動きをする人物が登場する。後鳥羽上皇の鎌倉幕府倒幕の動きのなかで決定的な働きをして、鎌倉幕府を守ったのは頼朝の妻の北条政子だった。政子は尼将軍という枕詞で呼ばれるようになった。

歴史夜話5
後鳥羽天皇は、1180年 高倉天皇の第4皇子として生まれ、名は尊成(たかひら)と言う。1183年、平氏が安徳天皇を擁して都落ちしたため、急きょ、尊成親王が即位し、後鳥羽天皇となった。しかし後鳥羽天皇は幼かったため、祖父の後白河法皇が院政(いんせい)を敷いて朝廷を支配した。1192年祖父の後白河法皇が亡くなると朝廷を支配したが
1198年後鳥羽天皇の第1皇子の為仁親王(ためひとしんのう)が即位し土御門天皇(つちみかどてんのう)となると後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)となり、院政を始める。
       
1202年後鳥羽上皇は思いのままの院政を行うなか、執権北条氏に奪取された権力を取り戻そうと鎌倉幕府打倒に燃える。1210年 後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒に消極的な土御門天皇を退位させ、新たに、後鳥羽上皇の第3皇子の守成親王(もりなりしんのう)を順徳天皇として即位させる。

 1219年 後鳥羽上皇は、鎌倉幕府の3代将軍の源実朝が暗殺され源氏の直系が絶えると、ここぞとばかり鎌倉幕府内の混乱に乗じて鎌倉幕府を打倒する計画を進める。1221年後鳥羽上皇は藤原秀康、三浦胤義らに「鎌倉幕府執権の北条義時を討て」という命令を出す(承久の乱)。北条義時は、頼朝の妻の北条政子の弟である。

承久の乱は、鎌倉幕府内の争いを利用したものだったが、北条政子の動きで・・・ 後鳥羽上皇は鎌倉幕府の大軍に京都に攻めこまれ大敗する。戦後、後鳥羽上皇が隠岐島(おきのしま)に流される。

北条政子にとって、鎌倉幕府は夫である源頼朝と共につくりあげた家であったが、その家を守るために、北条政子は必死に働き苦心した。しかし、その結果が、2人の息子、源頼家、源実朝の死であった。それは、あまりにも大きな犠牲であった。息子たちの暗殺の背後には、父の北条時政がいたからだ。

しかし、承久の乱での北条政子の言葉には、源頼朝とともにつくりあげ、2人の息子までも犠牲にしたこの幕府をこわしてはならないと言う決心を感じることができる。

「吾妻鏡」によると、政子の演説は、1221年5月19日とされている。

皆、心を一にして奉(うけたまわ)るべし。
これ最期の詞(ことば)なり。
故右大将軍(こ・うだいしょうぐん)、朝敵を征罰(せいばつ)し、関東を草創してより、このかた、官位と云ひ俸禄と云ひ、その恩すでに山岳よりも高く、溟渤(めいぼつ)よりも深し。  
報謝の志浅からんや。
しかるに今 逆臣の讒(ざん)によって、非義(ひぎ)の綸旨(りんじ)を下さる。
名を惜しむの族(やから)は、早く秀康(ひでやす)、胤義(たねよし)らを討ち取り
三代将軍の遺跡(ゆいせき)を全(まっと)うすべし。
ただし、院中に参ぜんと欲する者は、只今申し切るべし。

「訳」
みな、心を一つにして聞きなさい。
これは私の最後の言葉です。
源頼朝殿が、朝敵の平家一門を滅ぼし、ここ、関東にわれわれの幕府を作った。
それ以来、皆の官位は上がり、収入も増えた。
それもこれもすべては頼朝殿のお陰である。
その恩は山よりも高く海よりも深い。
しかし、今、その恩を忘れ、天皇や上皇をたぶらかす者があらわれ、朝廷より理不尽な幕府討伐命令が出された。
「名こそ惜しむ者」は、朝廷側についた藤原秀康・三浦胤義らを早々に討ち取り、三代に亘る源氏将軍の恩に報いなさい。
さあ、もし、この中に朝廷側につこうと言う者がいるのなら、今すぐ名乗り出なさい。

2016.04.28   えんてつ   編集

えんてつ さん

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幕末なら、坂本龍馬とか西郷隆盛とか木戸孝允とか、、、
戦国時代は、家康、信長、秀吉、、、
そして、この時代ですと、義経と静御前が私の歴史でしたが、、、甘かったですね~! (-_-メ)


歴史夜話も、第5話となりました。
着地点が不安定なので、著作権を無視して、一か所にまとめますね (*^-^*)

2016.04.29   麦   編集

麦さん、こんにちは。

麦さんの人物相関の視点からは義経と静御前の悲恋物語?もまた一考の価値は大ありですな~笑い。

いよいよGWということでこちらでは田植えが始まりましたよ。
でも、ホンモロコくんはまだ本気にならない様子なんです。


歴史夜話・・・・
麦さんの最新の話題に邪魔になっては申し訳ないので住所不定でぺったんこさせてもらってます。
それではお任せいたします。

2016.04.29   えんてつ   編集

えんてつ さん

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相関図の視点から、北条政子も見逃せないですけどね(*^▽^*)

GWは田植えの季節、家庭菜園は夏野菜の植え付けが風物詩になりましたね。
今年は、寒さが行ったり来たりで、ホンモロコ君も戸惑っているのでしょう、、、


規則的に書いているブログでもないし、規定もありませんから、ノープロブレムですよ。
こちらも、著作権も無視してますし( *´艸`)






2016.04.29   麦   編集


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