空が2色に染まるとき


私は城が好きである
あまり好きなせいか  どの城址に行っても むしろ自分はこんなものは嫌いだと言った様な顔を 心の中でしてしまうほどに 好きである

司馬遼太郎さんの こんな言葉で始まり 司馬遼太郎さんの小説を引用しながら 全国の城を訪ねる番組に このところ はまっている

なるほど
小学生が あまりにも好き過ぎて 好きな女の子に意地悪をするのは理に適っているのかな と思ってしまう司馬遼太郎さんの言葉だ

チェンミンさんの二胡によるテーマソングが流れるのも はまるに拍車がかかっており 番組が終わるころは 二胡の音色に促されて 練習をしなくちゃ と我に返り Blogを書くことも滞ってることに気づかされる

先日のこと

句読点がなく スペースを空けたブログは最悪
学校で 文章の書き方を習ったでしょうに


よく読ませていただくブログで ブログ主さんの こんなような意味の発言を目にしたこともあって なんとなくブログから遠ざかっていたのだが  もちろん そのブログ主さんが ここでヒッソリと綴られている私のブログに目を通されているはずもないので 最悪と名指しされたのが 私のブログのことではない と思うのだけど

司馬遼太郎さんに 重ねてみれば
句読点がなくスペースを空けたブログを あまりに好き過ぎるため むしろ最悪と言ってしまうのかなぁ なんて思ったりしている 今日の PC前  


DSC00851.jpg


空は 1日に2回  2色に染め分けられる瞬間がある

朝は東の空から 「さぁ 今日も1日 がんばろう」 と 
夕は西の空から 「さぁ 明日も1日 がんばろう」 と

この空の色は 落ち込んでいる者へ神様からのエールに違いない と決めて生きるようになって 久しい

今日は この空の色を納めたくて カメラを準備し 夜明け前から待っていた


夕の西の空

DSC00855 (1)

 こんな日もある


好きというほどでなくても 誘われればカラオケに行く
マイクが回ってくれば 「五番街のマリーへ」 を歌う
 
  五番街のマリーへ

五番街へ行ったならば マリーの家へ行き  どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街は古い街で 昔からの人が  きっと住んでいると思う たずねて欲しい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし  悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って  今がとても幸せなら 寄らずにほしい

五番街へ行ったならば マリーの家へ行き  どんな暮ししているのか 見て来てほしい
五番街で住んだ頃は 長い髪をしてた  かわいいマリー 今はどうか 知らせてほしい
マリーという娘と 遠い昔に暮らし  悲しい思いをさせた それだけが気がかり
五番街は近いけれど とても遠いところ  悪いけれどそんな思い 察してほしい 


検索した歌詞を コピーした
句点も 読点も ない

この歌詞を書いた人も 学校で習ったとは思うけれど 句読点を使わない場合もあるわけです

私の場合
どこかで 「~やもしれない」 という表現が目に入ったときに 最悪とまでではないけれど 違和感を覚える

「やもしれない」 は 「かもしれない」 という意味であり 現代に使っても間違いではないのでしょう 

しかし 現代口語では 最初の 「や」 が 「か」 に変わり どうしても 「や」 にしたければ 語尾は 古語の 「ぬ」 のまま 「やもしれぬ」 でなければ おかしいと思うのだけれど

でも 人が 文を書くとき 
ましてや正式な文書ではなく 個人的な公開日記の域に過ぎないブログなんかでは 学校で習ったのとは違っていても それぞれの感性で 自分の思いに より近い表現方法を選択して良いのではないか と 思うのであ~る 





スポンサーサイト

<< 本命さんへ義理  TopPage  壊れたものは仕方ない >>

コメント

🐉今日は(=^x^=)
ブログの更新、滞ってましたね〜(^_^)
ふふ!
少しやきもきしてましたよ。
二胡の練習はかどりましたか?


私の場合は、「今日も1日、何とか頑張ろう」
「今日も1日、やっと終わった〜」
でしょうね(≧∇≦)


句読点、学校で習った筈なのに、もうすっかり忘れてます。
習った筈の事、殆ど全て忘れてしまった様な気がします。


ブログは、自分流で良いのであーる。
賛成です。小難しい事は要らない。^_−☆

2016.02.13   h.j   編集

今日、9時からNHKで「司馬遼太郎思索紀行」がありますが、
ご存知ですよね?

句読点がなんだかんだというお方・・・
作家じゃあるまいし、ブログ如きで、煩い人物ですね~。
「人の悪口を言ってはいけませんよ」と、
小学生の時、教わらなかったのかしらね~。

読点、句読点をいうなら、てにをは、誤字脱字?
起承転結まで考える?・・・自己流で良いと思うわ。

それよりも、虚言、空言、表裏の激しい人間もいるし、
ブログから見える変わり者は数えきれないほどですね。

はい!人の事は言えませんけれどネ・・・(≧◇≦)。

2016.02.13   kanmo   編集

v-513 ← マリー

v-4 h.j さん

今日はリュウですね(*´▽`*)
自覚はなかったんですけどね、書く気にならないでいたら、いつのまにか滞ってました。
二胡は、毎日ノルマだけはこなしましたが、今週はカメラ教室が二回、あったので忙しかったです。

お疲れの時は、空を仰いでください~🎶
夜の星空も、頑張ってって応援してくれますよ(*^-^*)

学校で習った事、忘れたことのほうが多いような~、それじゃ、ダメじゃん! って ・・・(≧▽≦)

私も、ブログは自分流で良いと思います。
中央寄せは、読みにくい、とのことでしたが、句読点なしのスペース、は最悪ってことだったので、ちょっと考えてしまいました。
読んでいただくのが目的の返信コメントは、ちゃんと、句読点ついてますよ(*^▽^*)



v-4 kanmo さん

「司馬遼太郎思索紀行」ですね、はい見ましたよ(^^)v
節目の年ということで、このところ多いですね。

句読点なしのスペース空きブログでも、好感度の高いブログって、けっこうありますよね。
読みにくい、というのが、最悪と言われる理由のようですが、、、確かに、人それぞれですから、公開するご意見ではないような気がします。
たまたま、私が、その形をとっているので気になりました(^-^;

あちらこちらお尋ねして、ブログから、お人柄が伺えますね。
はい、kanmoさんのお人柄もバッチリと、、、
裏表なく、言いたいことを言い過ぎ?、、、(≧▽≦)





2016.02.13   麦   編集

熊本で大きな地震が発生した。いよいよ日本も地殻変動の活発期間に突入したことが確かなように思えてきた。江戸時代の安政年間といえば、井伊直弼の「安政の大獄」が浮かんでくる。しかし、同時に安政年間は地殻変動が活発になり大地震が頻発した時代でもある。安政の大獄を誘発したのは、ペリ-の来航による国論の分裂だった。

歴史夜話3
江戸幕府は、ペリ-の来航と自然災害から始まった幾多の国難を逃れために改元を行った。すなわち「嘉永」から「安政」への改元である。そして後世、ややこしいとに明治政府誕生の時に詔勅で「慶応4年(1868年)を明治元年と改元する」とされ、慶応4年1月1日にさかのぼって明治元年1月1日と改元されたことだ。この結果、嘉永7年1月1日に遡って安政元年に改元されたと解釈された。よって嘉永7年に起こった出来事はすべて安政元年の出来事とされた。

 安政の大獄は、尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士らを井伊直弼が弾圧したのであるが、現代風にいえば、江戸幕府によるテロの防止、治安維持活動だということができるだろう。ただ、安政の大獄という表現は後世の言い回しで、江戸時代には「飯泉喜内初筆一件」と呼ばれていた。

飯泉喜内(いいいずみ きない)は、江戸時代末期(幕末)の志士で初め渡辺六蔵を名乗った。ロシア人との接触を疑われて取り調べを受け、多くの志士との手紙が露見したことをきっかけに安政の大獄に発展した。

安政年間は実に多くの大地震が発生した。(以下西暦と旧暦で一覧)
1854年3月31日(嘉永7年・安政元年3月3日)日米和親条約締結
1854年7月9日(嘉永7年・安政元年6月15日)伊賀上野地震。
1854年12月23日(嘉永7年・安政元年11月4日) 安政東海地震(巨大地震・大津波)
1854年12月24日(嘉永7年・安政元年11月5日) 安政南海地震(巨大地震・大津波)
1854年12月26日(嘉永7年・安政元年11月7日) 豊予海峡地震
1855年3月18日(安政2年2月1日)飛騨地震
1855年9月13日(安政2年8月3日) 陸前地震
1855年11月7日(安政2年9月28日)遠州灘で地震(東海地震の最大の余震)
1855年11月11日(安政2年10月2日)安政江戸地震
1856年8月23日(安政3年7月23日)安政八戸沖地震(巨大地震)
1856年11月4日(安政3年10月7日)江戸地震
1857年7月14日(安政4年閏5月23日)駿河で地震
1857年10月12日(安政4年8月25日)伊予・安芸で地震
1857年12月20日(安政4年11月5日)吉田松陰が松下村塾を開く
1858年4月9日(安政5年2月26日)飛越地震(巨大地震)
1858年7月8日(安政5年5月28日)八戸沖地震
1858年7月29日(安政5年6月19日) 日米修好通商条約締結
1858年10月11日(安政5年9月5日)安政の大獄が始まる
1859年1月5日(安政5年12月2日)石見地震
1859年10月4日(安政6年9月9日)石見地震。
1860年3月24日(安政7年3月3日)桜田門外の変(井伊直弼が暗殺)

おおよそ五年間の間に、なんとM8クラスの巨大地震が4回、M7クラスの大地震が11回発生している。特に西暦1854年12月23日から26日の4日間はまさに日本沈没を惹起させる事態だった。

東日本大震災以降、日本各地で地殻変動が騒がしくなってきている。安政年間の再来はご免こうむりたいが、東南海巨大地震が目前に迫っているのは事実のようだ。

2016.04.16   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-483

爆弾を抱えているような、今の日本ですね。
心新たに、予防対策を振り返った歴史夜話3でした。
一通りのグッズを入れたリュックが玄関に置いてありますが、このたびは、枕元にスリッパを置きました。

先週の日曜日は、<真田丸>が見られなかったので、今日の再放送を楽しみにしていましたが、すべての番組に代わって速報の一日でしたね。
地震大国に生まれた運命。
この時も、秩序を乱さない九州の方々の映像に、日本人であることの魅力も生まれたことでした。

安政の大獄と言えば井伊直弼が浮かびますが、「飯泉喜内初筆一件」と言われるほどの、飯泉喜内という人物がいたということ、なんですね。

2016.04.16   麦   編集

麦さん、こんばんは。

大きな自然災害があると、昔の人の記録や忠告があったのに~という場合が多いですよね。
地震だってそんな記録は多いし、地殻の中に記録が残っていることも多い。

起こるはずがないという立場と起こるかもしれないという立場の違いは、歴史の教訓を役立てるかどうかということに近いものと思います。

明日から久しぶりに滋賀のほうへ出かけます。
琵琶湖をみると元気がでます。

2016.04.17   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-490

>起こるはずがないという立場と起こるかもしれないという立場の違いは、歴史の教訓を役立てるかどうかということに近いものと思います。

奥の深い、お言葉ですね。
地震に限らず、、、

琵琶湖ですね。
ホンモロコが見つかるでしょうか! (^^♪
琵琶湖と、一口に言っても、周囲は広いし、風景も様々ですよね。
えんてつさんが元気が出る方向は、どこでしょう。
私の琵琶湖は、夕暮れにカイツブリが泳ぐ水面、明智光秀の城址のほとり、ですね~。

2016.04.17   麦   編集


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

トラックバックURL
http://maririn620.blog.fc2.com/tb.php/287-84ea5c9e




Copyright ©るりとうわた色の空に. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad