るりとうわた色の空に

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放っておかない 「放っておく」


恐る恐る 僅かな期待を込めて フルイの網に鉢土を広げました
「サギソウが売ってるけど要る?」 と 旅先からの知人の電話に もちろん 「要る」 と答え お土産にいただいたサギソウです

嫁いですぐのころ 山野草に凝っていた義父母から 「放っておくだけで簡単に咲く花だから」 と譲り受けたサギソウは 翌年に続くことはなく
その後も 「放っておくだけ」 を信じて挑戦しましたが 翌年に咲かせられることはなく そのうちに 「放っておくだけ」 の真偽のほどを疑うようになり 

こんなサギソウと私との由来を知ってか知らずかの知人が 5株のうちの3株に花茎が上がったサギソウの鉢を 旅先から持ち帰ってくださったのでした

花を楽しんだ後 複数の 「サギソウの育て方」 を総合して 私なりの球根の保存法により 道路を隔てた川津桜のつぼみが膨らみかけたところで いよいよ地上部のない鉢土を掘り起こした日

あった!

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球根が5個 


遠い昔 義母からは 「すごく増えるから翌年は用土の中からゴロゴロと球根が出てくる 」 と聞いてはいたものの 5芽から5個という結果に  失敗を重ねてきた私としては大満足


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お向かいの川津桜


たまたま出向いたところで腰が座り おひるごはんの時間になってしまうと 昨日の残り物とか冷蔵庫にあるもので ササッと食事の用意をしてくれる料理上手な友人の弁に
「お肉と調味料の鍋をガスにかけて あとは放っておくだけ」  という豚の角煮のレシピがあります

これが 圧力鍋を使ってみたり 調味料を工夫したりして必死で作る上げる私のそれより ずっと美味しいので 「放っておくだけ」 について尋ねたことがあって
「そりゃあ アクを取ったり 火加減を調節したりはするけど」 と

義母にしても友人にしても 手をかけるべき基本的な要所要所を取り入れての 「放っておくだけ」 なわけで それぞれにベテランな彼女らと単細胞な私との 「放っておくだけ」 には 大きな開きがあるのです

花を楽しんだ後は 花ガラを摘みとり 茎を残して液肥を施しつつ球根が育つ間は水切れに注意を払い 地上部がなくなったあとは 湿度を低めにして育て上げた サギソウの球根を植え付けました


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水持ちの良い鹿沼土も可だけど初心者にはミズゴケが無難らしい



縁側から恵那山を望む義母の住まいで育つほどに ゴロゴロとは出てこなかった球根でしたが 増えもせず減りもせずの球根のうち 小さめの一個は無理にしても 春には5本の発芽と 夏は4羽のサギが飛ぶ姿を見込んでいます
  



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コメント

今日は(=^x^=)

何でも簡単に出来てしまう人は、
「放っておくだけ」って、簡単に言われるんですよね。(^_^;)


今回は麦さんの、努力の賜物ですか!
5個でも、球根があって良かったですね(*^_^*)


私はささっと、料理は出来ませんが、
お肉と材料を入れて火にかけて、5分沸騰させたら、「放っておくだけ」のお鍋持ってますよ。
とても簡単に角煮が出来ます。^_−☆


2016.02.17   h.j   編集

h.j さん

v-530

やっぱり、そう思います?
そうなんですよね~!
ご自分には簡単だから、手をかけたほどに感じないんでしょうね(-_-;)

このたびのサギソウには、手をかけましたよ~!
5個で十分です(*^-^*)
花が終わった後の様子から、球根が育ったのは一個だけかと思っていましたが、5個もあってびっくりでした!
少なくとも2本は咲くと思うですが、、、

あの鍋、お持ちなんですね。
友達に勧められて迷ったことがありましたが、それっきりになりました(*´▽`*)
保温で加熱するんですよね?
角煮ができます ← 誘惑に負けそうです~、、、(≧▽≦)

2016.02.17   麦   編集

麦さん、こんばんは。

「青葉の笛」という歌がある。学校で習った記憶はないが、母の姉が琴を弾きながらこの歌を歌っていた。無賃乗車のことを「薩摩の守(さつまのかみ)」という理由もそのとき教えてもらったような気がする。

わたしの住んでいる町から神戸の繁華街へ出るには、直接六甲山を越えるか、一旦大阪方面へでてから瀬戸内沿いに神戸に至る二つのル-トがある。そのうち六甲山を越えるル-トは神戸電鉄というローカル線が走っている。南に向いて走る電車が六甲山の北の端に来るところが有馬温泉で、そこから山の中を走る。そしてもうすぐ六甲山を越えようかというところに鵯越という駅がある。寿永三年(1184年)春のこと、源義経はこの鵯越の断崖を駆け降りて一の谷に陣を敷く平家を急襲して勝利した。このとき、奇襲を受けた平家軍は大混乱を起こしながら海上に逃れた。このとき須磨の浜辺で逃げ遅れた平家の若い大将が討ち取られた。

歴史夜話2
平敦盛は平清盛の弟であり、平家一門として数え17歳で一の谷の戦いに参加した。ここで源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、逃げ遅れた敦盛は騎馬で海上の船に逃げようとした。手柄を立てようと敵将を探していた源氏の武将である熊谷次郎直実が敦盛を見つけ「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。

敦盛が浜辺へ取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答える、そのうち源氏の味方が近づいてきて、直実は涙ながらに敦盛の首を切った。

平敦盛は横笛の名手で祖父からいただいた「青葉の笛」を携えて戦に出ていた。この笛は現在神戸市須磨区の須磨寺にあり、敦盛の首を洗った「首洗い池」や、敦盛の首を祀った「首塚」もある。

 アツモリソウ(敦盛草)は蘭の仲間で袋状の唇弁を持つ花の姿が特徴だ。馬上の戦では背後から弓で射られることがある。それを防ぐために母衣(ほろ)という袋状の布を背負って膨らませる。アツモリソウは平敦盛の背負った母衣(ほろ)に見立ててつけられている。わたしはまだこのアツモリソウの実物を見たことがない。

 さて、須磨の海岸で敦盛を討ち取った熊谷直実は、武蔵国熊谷(現、埼玉県熊谷市)の住人熊谷次郎直貞の次男として生まれる。子の直家と親子共に源頼朝の部下として数次の源平合戦において手柄をたて鎌倉幕府の創設に力を尽くした。しかし、直実は息子と同じ数え17歳の平敦盛を討ったことから無常を感じ、それをきっかけとして出家し法然上人に師事した。

直実は敦盛を討って8年後の1192年(建久3)に久下直光との所領争いに敗れたことから、武将としての生き方に決定的に疑問を持ったようで、自ら剃髪して法然上人に問うた。それは「自らは戦の中にあって平家の御大将をはじめ多くの人をあやめてきた。 その自分が浄土に往生するためにはどうすればよいのか」といった質問をぶつけたようであるが、法然上人は「罪の重い軽いをいうよりも、ただ念仏を申しなさい。そうすれば必ず極楽に生まれることができます」と。 直実は涙を流しながら「自分は手足を切り落としでもしないかぎり救いはないと思っておりましたし、そうするつもりでおりました。ところがお念仏さえすればよいというお言葉に感涙してしまいました」と、その胸中の苦悩をもらしたという。

 平敦盛はアツモリソウという花に名を残している。一方の熊谷直実もまた、同じ蘭の仲間のクマガイソウになぞられている。蘭に詳しい麦さんならば、この二人の蘭はすでにご存じだろうと思う。

2016.04.11   えんてつ   編集

追伸(笑)

織田信長が好んだといわれている幸若舞の「敦盛」も有名でしたね。
「人生五十年。下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり。ひとたびこの世に生を受け滅せぬもののあるべきか・・・」という謡曲です。

2016.04.11   えんてつ   編集

麦さん、おは~

歴史夜話2を読み返したら、最初に大ミス発見!
敦盛は清盛の甥どぇす。弟ではありません。

今朝はなんと遅霜がおりました(泣)
でも一応対策していたので被害はありません。

2016.04.12   えんてつ   編集

えんてつ さん

e-464

弘法にも筆の誤りでしたか(*^-^*)

遅霜は大敵ですね。
こちらも日中は20℃かと思えば、風は冷たかったりです。
今日は、根詰まりした鉢の植え替えと、10種類ほどの絶やしたくない花の種まきを終えました。
その姿勢のせいでしょうね、なんとなく筋肉痛です。
温帯スイレンも、植え替えが必要と聞き、思い切って株分けしました。
今年は、もしかして花が見られるかと期待してます。


平敦盛。
夜話にふさわしい、熱いお話ですね。
1192年!
イイクニ作ろう鎌倉幕府しか知りませんでした。

千葉県のどこか、アツモリソウだかクマガイソウが群生しているところがあるらしいですよ。
初めてアツモリソウの名を知ったのは、義母からでしたから、もう30年以上も前なのに、幻に近い花ですね。
「これが噂のアツモリソウ」だったかクマガイソウ、だったか、と思った記憶だけがあるのですが、この記憶も幻です。
山野草としては、アツモリソウよりも、クマガイソウのほうがメジャーだったような?

信長が舞う姿は、ドラマに、よく出てきますね。
「人生五十年。下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり」
人生50年は下天の1日に過ぎない、という意味だと、つい2,3日前の歴史番組で知ったばかりでした。
信長が好んで舞ったということは、信長は敦盛を儚んでいた、ということなのでしょうか?

奥深く知れば知るほど、面白い話が埋もれているのですね。
私も「敦盛」を舞わないと! 

2016.04.12   麦   編集

麦さん、おはようさんです。

>私も「敦盛」を舞わないと!
おもわず手拍子してしまいそう(失礼) 

敦盛を舞う場面は、信長のドラマなどでは定番となっていますね。この敦盛のなかで「人間50年」と出てきますが、これは麦さんのお話のように、下天(天界の最下層)では一日が人間世界で50年に相当するという意味だから、人生50年という意味ではなく、「人の世界は天界の感覚からすると、所詮一日程度のことなんだから、くよくよ死を恐れてもどうにもならない」・・・こんな感じでしょうか。

敦盛は戦の中で弱冠17歳で生涯を閉じましたが、人生は死というものまでのは長さだけではかるものではない、短い長いではないという意味を暗示しているように思います。

なので桶狭間の合戦の直前に 清州のお城で信長は潔く敦盛を舞ったのではないでしょうか!人間が過ごす日々は夢や幻のごとくで、命あるものは全てかならず滅びる運命にある。信長の決戦に臨む潔い心境だったと思います。

2016.04.13   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-424

最近の長寿に、「人生50年と言われた時代」と比べられることがありますね。
けっこう、間違って解釈されているのですね。
あらま、続きの部分はまた、そういう意味でしたか!
なるほど、本能寺で残した「是非に及ばず」にもつながる信長の精神ですね。

私は逆に、人生は短いのだから、心置きなく意義ある生き方をしなさい、という意味だと思いました(-_-;)


桶狭間は大勝利でしたね。
信長には、軍師はいないですよね。
勝因は、信長の策だったのでしょうか。

次の夜話に期待大です。
きっと、私以外にも楽しみに待っていらっしゃるかたがおられることでしょう (^▽^)/


2016.04.13   麦   編集

麦さん、こんばんは。

>なるほど、本能寺で残した「是非に及ばず」にもつながる信長の精神ですね。

ふふふっふ~
本能寺でのことで後に伝わっていることは、ほとんど怪しいです。
なかには、本能寺で敦盛を舞ったという脚本もありますからね。
「信長公記」の著者の太田牛一は、本能寺の変には立ち会っていなかったが、「女どもこの時まで居申して、様躰見申し候と物語候」と書いているので、信長に帯同していた女人衆からある程度その有様を聞いたことは確かだろうと思います。



>きっと、私以外にも楽しみに待っていらっしゃるかたがおられることでしょう (^▽^)/

わ~い、麦さん以外にですか、嬉しいですね~♪


個人的には、息子の信忠が自害したのが残念です。
父信長から家督を譲られてすでに織田家当主の立場でしたから、父を見捨てて再起を果たしてほしかったです。

2016.04.13   えんてつ   編集

えんてつ さん

v-87

ほほう、、、
いろいろ逸話がありますが、どれも怪しい!
テレビで、まるで自分が見てきたかのように、燃え盛る炎の中での信長の最後の雄姿を話すナレーターは、太田牛一氏の受け売りなんですね(*^▽^*)

亡骸が見つかってない、というのもミステリアスですよね。
本能寺には信長の武器の倉庫があって、そこには大量の火薬も保管してあったとのことで、火事により爆発して遺体が粉々になった、という説に、ナンチャッテ歴女は1票です(*^▽^*)


聴講生が私一人では、もったいないお話ですから(*^^*)
どんな感想かも、お聞きしたい・・・


三法師の親が、信忠ですよね。
濃姫の子供がいなかったのも、残念じゃないですか?

本能寺がなかったら
信忠が生きていたら

いろいろ想定すると、、、
今の日本は、どうだったでしょう。

そして将来、
安倍首相に子供がいたら、、、と考える人々の時代を想像すると、、、

歴史とは
なんとも面白いです (*^-^*)


2016.04.14   麦   編集


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