99の歴史問題 Part.2


盲導犬のニュースは 犬を飼う者 いえ おそらく犬を飼った事のないかたにも どんなにか悲しいできごとだったことでしょう

犯人の心のハンディは 生きていくのに手助けを要する どんなハンディよりも不便で お気の毒で 可愛そうな人だと思います

私も 犬が我が家にいるだけで どれほど助けられたかを振り返っては 怒りを抑えられずにいます

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斑入りの桔梗
切り戻して二度目の開花
春に蒔いた種からの苗も順調に生育中です 
 

ただいま 歴女界への入門テスト中なり

ネットという有能な軍師を携え全勝のはずが 敵もさるものマニアックな問いで攻められ 早いうちに躓いたあとは気楽に構え 8割ほどの正解率に満足しています

問題二十四までは → http://maririn620.blog.fc2.com/blog-entry-34.html#comment124 
有能な歴女を軍師に迎えたい心境で 次の戦いに挑む なんちゃって歴女の麦です 

★問題二十五
 信玄からは「家康に過ぎたるもの」と称され、信長からも「花実兼備の武士」と言われ、秀吉からは「日本第一、古今独歩の勇士」と褒め称えられた、家康配下の武将は誰でしょうか?

回答  ・本多 忠勝

★問題二十六
徳川家康が今川家の人質だった頃からお共をしていた古参の家臣。徳川家の独立直後から 「西三河衆」 を率いて徳川家のために戦っている。また織田家との交渉を進め、「清洲同盟」 と呼ばれる織田・徳川家の同盟を成立させ、さらに今川家の人質となっていた家康の妻 「築山殿」と長男「徳川信康」を奪還するために単身今川家の居城「駿府城」に乗り込み交渉の末、取り戻す事に成功する。これらの功績で、徳川家の中でも重要な家老となる。しかし豊臣秀吉と家康が戦った「小牧・長久手の戦い」の後、突然一族を率いて秀吉側に寝返った。この武将とは誰でしょう。

回答  ・石川数正

★問題二十七
 関ヶ原で西軍に組し、最後は敵中突破をはかり無事本国に帰還した武将とは誰か? この偉業?は後世なんと名付けられ呼ばれましたか?

回答  ・島津義弘 
     ・島津の退き口
 
★問題二十八
 1556年1月近江国犬上郡で生まれる、幼名は与吉。1569年13歳で北近江の農民一揆鎮圧に参戦し手柄をたてて浅井長政から備前兼光一刀をいただく。1570年姉川の合戦で織田勢の首数をとり浅井長政から感状を受ける。1573年17歳で小谷城が陥落し浅井氏が滅ぶと旧家臣の家来となる。1576年近江国を出て織田信澄の家臣となる。丹波攻めに参戦し手柄を立てるが80石の手柄だと評価されて出奔する。放浪生活中に三河国吉田屋で無銭飲食をして諭される。その後、豊臣秀長に仕えてから出世の道が開けた。秀長に召し抱えられることが決まったとき、鮒ずしを酒の肴にして話していた。そのためか、後日、家の祝い膳には、近江名物の鮒ずしを出すしきたりになっていたという。そしてついに大名にまで出世をし、参勤交代の途中で三河国吉田屋に立ち寄り大昔の無銭飲食の代金を支払った。この大名の旗指物は白の「三つ餅」で「城持ち」の語呂合わせだと言われている。さて、何度も主君を変えた戦国武将として知られ、また築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城した。さてこの武将とは誰だろう?

回答  ・藤堂 高虎

★問題二十九
近江国伊香郡の人。豊臣秀吉家臣。秀吉没後は、豊臣秀頼の後見役を務めたが、このころから徳川家康への対応に苦慮することとなる。1600年「関ヶ原の役」のちも茨木城を領する。1608年、秀頼の命により和泉狭山池を大改修し、耕地の灌漑に大きく貢献する。1614年「方広寺鐘銘事件」によって豊臣・徳川家の対立は不可避なものとなると運命は暗転した。淀君・大野治長らからは疑惑を受け、大坂から退城し、茨木へ蟄居した。さてこの武将は誰でしょう?

回答  ・片桐且元 

★問題三十
近江国の人。浅井家の小谷城で生まれる。通称小兵衛。官途は若狭守。
足利義昭と織田信長の対立では、父が足利義昭方だったため織田信長により父は蟄居させられ、家督を相続した。1573年「槙島城の戦い」に従軍した。1581年、丹羽長秀の寄騎衆として「伊賀攻め」に参加し名張郡を平定。1582年「本能寺の変」では、明智光秀に加担、長浜城を攻撃したが「山崎の戦い」で明智光秀勢が敗れると、若狭国へ落延びた。その後、妹を羽柴秀吉に差し出して許された。1590年、小田原征伐の功により近江八幡山城二万八千石となり1600年「関ヶ原の役」では最初西軍について「北陸征討」に従うも、東軍に転じて大津城へ籠城、立花統虎(宗茂)らの猛攻を受けてついに剃髪して開城した。関ヶ原本戦で東軍が勝利したため大津籠城の功により若狭小浜城に八万五千石を与えられた。さてこの武将は誰でしょう、またつけられたあだ名はなんというでしょう。

回答  ・京極高次 ・・・ 正室は初ですよね?
                初の名前を出さなかったのは師匠の意地の悪さ? ( ´艸`)
     ・ホタル大名

★問題三十一
近江国の人。官途は左近衛少将。通称忠三郎。洗礼名「レオン」。
正室は織田信長の娘(冬姫)。織田信長の枝連衆として厚く遇された。1568年、北畠具教との戦いで初陣を飾り、兜頸を挙げる戦功を挙げた。その後も織田信長の戦いに参陣して、父と共に数々の戦功を挙げた。1582年、織田信長が「本能寺の変」で討死すると、父と共に日野城に織田信長の妻子を保護して籠城、明智光秀に対抗した。明智光秀勢の明智光春、武田元明、京極高次らに、長浜城、佐和山城、安土城の各城を攻略されたが、日野城を攻略中に明智光秀が「山崎の戦い」で討死した為、攻略勢は敗退した。その後、羽柴秀吉に属して功績をあげ、伊勢国松ヶ島城十二万石を領した。1588年、伊勢飯高郡に松坂城を築城、城下街を整備した。1590年、伊勢国松坂城から、会津若松城九十二万石に転封になった。会津若松城下に日野、松阪の商人を呼び寄せ、定期市の開設、楽市楽座の導入、手工業の奨励等により、会津若松発展の基礎を築いた。1591年「大崎、葛西一揆」「九戸政実の乱」を鎮圧した。1592年「文禄の役」では、肥前名護屋に参陣した。1595年、伏見城下の屋敷で病没した。さてこの武将は誰でしょう?

回答   ・蒲生氏郷

さて 採点のほどは?


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このところ斑が美しく現れるようになった渓流を愛でて

おつかれさん!
 







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コメント

ムギさん、こんばんは。

あやしい熱病の噂が出ていますが、困った時代になりましたね。
ムギさん、一応気をつけてくださいね。

それにしても盲導犬の事件にはもう怒りの絶頂です。
犯人、まともな人間だとはとうてい思えない。


>ただいま 歴女界への入門テスト中なり

なぜか歴女というのが魔女にみえました(笑)
素晴らしい官兵衛さんの出現に期待しましょう~♪


>★問題二十五
回答  ・本多 忠勝


正解100点!
 忠勝は槍の名手で人生57回の戦で一度も手傷を受けなかった、老齢になって小刀で怪我をして死期を悟ったとか。前週問題の二俣城の戦での一言坂の退却では家康の殿軍を努めました。小牧長久手では、数万の秀吉軍に500騎ほどで立向い、福島正則や加藤清正が忠勝を討ち取るチャンスと進言しましたが、主君を思う忠勝の心情を汲んで放免しました。徳川四天王のなかでは一番の人気者で、三国志の趙雲に相当するという意見が多いようです。


>★問題二十六

回答  ・石川数正

正解!
なにしろ家康が三河の小倅であった時代からの家臣ですから、数正の離反の理由は戦国七不思議のひとつです。徳川家の内情を知り尽くしているということで、特に軍制については影響が計り知れないことから武田流軍制に変更しました。数正は信州松本城の築城者としても有名です。


>★問題二十七

回答  ・島津義弘 
    ・島津の退き口
 
大正解!
戦国武将に中で島津義弘は特別扱いする人が多い。
本州で信玄や信長や秀吉が全国統一を掲げて戦乱にあけくれていた頃、九州では島津義久を中心に義弘・歳久・家久の四兄弟が協力して、九州南部の薩摩・大隈・日向の三州をほぼ統一し矛先は九州北部へと進みました。しかし、武力平定を進めた秀吉の命令に背いて島津は大友攻めを止めなかったため九州成敗を受け敗北した。
関ヶ原では、はじめ東軍で参戦しようとしたが断られて西軍についたが傍観した。小早川の寝返りで勝敗が決したあと、午後二時ごろから的中突破して島津への帰還を策した。家康本陣前の福島隊は決死の島津隊を避けたが、井伊隊、本多隊は執拗に追撃した。島津隊は「捨て奸」という決死の殿小隊で義弘を逃がしたが豊久は討死した。この退却戦は「島津ののき口」と呼ばれた。

しかし、島津義弘の名を後世有名にしたのは、朝鮮出兵・慶長の役での活躍だった。

 1597年、慶長の役が始まり、義弘は島津家中の非協力の中、少ない人数で渡海し各地を転戦した。やがて秀吉の死により、朝鮮より撤兵するが、この時に日本中にその勇猛をとどろかせたのが、泗川での義弘の戦いだった。1598年(慶長3年)9月、明の提督董一元は20万の大軍を率いて晋州城を攻め徳川江をはさみ島津軍と対峙した。島津軍は泗川古城を放棄し、泗川新城まで退いた。10月、明軍の攻撃が始まり、島津軍は僅か5千ほどの
兵力で応戦し激しい戦闘の末、ついに明軍を退却させた。明軍の戦死者は3万以上に達したという。また日本軍の退却でもその殿を務め、日本の軍勢十万余騎が帰陣できたのも、義弘殿の一戦の大勝利のおかげと賞賛された。
 
 義弘のためなら命を捧げるという島津武士と義弘の絆はどのように築かれたかについては多くの言い伝えが残されている。またこの関ヶ原の恨みが幕末維新に繋がっている。


>★問題二十八
回答  ・藤堂 高虎

正解! ムギさん、すばらしい。藤堂高虎の築城は石垣の組み方に特徴があり、石垣を高くすることと堀を大きくする工夫がなされている。基本姿勢は戦国武将らしい武闘派で身長は190センチ、満身創痍であったという。部下には一日一日を死に場所と覚悟して務めるように諭したと言われています。主君を7回ほど変えましたが、それぐらい当たり前でこれぐらいは変えないと良い親方には巡り会えないと言ったとか・・・・・


>★問題二十九

回答  ・片桐且元 

正解!
大坂の陣では家康と大阪城を攻めました。大阪城に詰めていたころは淀君と大野治長にいいように使われていましたがわたしは且元は豊臣家によく仕えたと思います。

>★問題三十

回答  ・京極高次 ・・・ 正室は初ですよね?
     初の名前を出さなかったのは師匠の意地の悪さ? ( ´艸`)
    ・ホタル大名

大正解! 京極氏は近江の守護大名で浅井家は家来でした。しかし、戦国のならい下克上で浅井家に支配されました。室町以降だんだんと武家というより公家に近い家風になっていたのでしょう。秀吉は京極家にはまだ歴史的名声があるとの考えから戦で荒れた近江を収めるには最適だと考えたようです。豊臣側と徳川側の焦点が関ヶ原に向く中で毛利元康および立花宗茂らの大軍勢が高次の大津城での篭城により足止めされ関ヶ原に参陣することができなかった。この強運が高次を救ったが、蛍大名と揶揄されながらも領地小浜では善政を敷き家康の信任も厚かった。

>★問題三十一

回答   ・蒲生氏郷

氏郷がいまだ滋賀県の日野町での氏郷人気は高いです。1595年(文禄4年)40歳という若さで病に倒れ、この世を去りましたが、信長のそばで育った関係で、武道ばかりではなく、和歌をはじめ文化面にも造詣が深く、茶道において利休七哲の一人に数えられるほどの文化人。千利休の子である少庵を保護し、千家茶道の再興に尽力したことは有名です。また「レオン」という洗礼名も持つ彼は、イタリア人宣教師を家臣に迎え、ローマヘ使節団を送ろうとしたほどの熱烈なキリスト教信者でもありました。


>さて 採点のほどは?
すべて正解!・・・・どうやら隠れ軍師がいるような気がする(笑)




さて次の問題です。



問題三十二
柴田井戸、白雲、八重桜、乙御前、初花、松花、新田、紹鴎茄子、珠光文琳、天猫姥口
・・・・これらは信長が「名器狩り」をして手に入れたものです、果たして何の名前でしょうか?


問題三十三
 秀吉が関白の名で九州征伐、小田原征伐、奥州仕置を正当化した「お触れ」は何と呼ばれていますか?


問題三十四
 小田原城攻めの最中、北条氏政と同盟者でありながら北条氏を裏切り秀吉についた武将とはだれか?


問題三十五
 大阪の夏の陣で徳川方の井伊軍に討たれた。冬の陣では大阪方は浪人が多かったがその中において後藤又兵衛とともに軍功を上げ若き豊臣武将として名を挙げた。首実検では首が家康に届けられると、頭髪に香が焚きこめてあったので、その覚悟を感嘆させたというこの武将とは誰だろう?


このあたりから方向を戦国から1000年ほど過去の古代へ寄り道します。その後、江戸幕末まで舞い戻ります。どうでしょう?

2014.09.01   えんてつ   編集

えんてつ さん

蚊が媒介する熱病ですね。
気をつけないといけませんね。

悲しい盲導犬の事件でした。
犯人は、もしかしたら正常な精神ではない人かもしれない、と思うと怒りのもって行き所がありません、、。


今回は大正解、気持ち良いですね。
面白い問で楽しめました。

少し疲れたので、ゆっくり解いていきますね。




2014.09.01   麦   編集

ムギさん、こんにちは。

このところ晴れの良い天気が続くようになり、ほっとしています。
台風14号の動きが心配ですが、伊豆諸島に被害が出ないことを祈っています。

さて、歴史問題、小休止ということなので・・・
前回の問題の回答を付けときます。



問題三十二
柴田井戸、白雲、八重桜、乙御前、初花、松花、新田、紹鴎茄子、珠光文琳、天猫姥口
・・・・これらは信長が「名器狩り」をして手に入れたものです、果たして何の名前でしょうか?

答・・・・茶器 茶道具
信長は利休の茶道がお気に入りとなり、流行させました。たぶん戦場での命がけの戦いの日々だったので、ひとときの癒しになったのかと・・・。
      でも気に入った茶器を集めるという「名器狩り」になるまでは良かったのですが、茶器を戦のご褒美にするなどやはり計り知れないところがあります。
     
問題三十三
 秀吉が関白の名で九州征伐、小田原征伐、奥州仕置を正当化した「お触れ」は何と呼ばれていますか?

答・・・武将から民百姓まで争いはやめるようにという「惣無事令」を出しました。このお触れはその都度数回出されました。九州征伐、小田原征伐、奥州仕置、これらは「惣無事令」違反を口実に行われました。

問題三十四
 小田原城攻めの最中、北条氏政と同盟者でありながら北条氏を裏切り秀吉についた武将とはだれか?

答・・・一番の大物は、奥州の伊達政宗。伊達家は北条氏と同盟関係にありましたが、秀吉の調略により寝返りました。小田原城は当時は日本最強の城構だったので各地の支城を攻め落として孤立させる作戦をとりました。小田原攻めが終わると秀吉は家康を関東に封じました。この結果として家康は関東に一大拠点を持つことになりました。

問題三十五
 大阪の夏の陣で徳川方の井伊軍に討たれた。冬の陣では大阪方は浪人が多かったがその中において後藤又兵衛とともに軍功を上げ若き豊臣武将として名を挙げた。首実検では首が家康に届けられると、頭髪に香が焚きこめてあったので、その覚悟を感嘆させたというこの武将とは誰だろう?

答・・・木村重成  家康に「智・仁・勇の三徳を兼ね備えている」と感嘆させた若武者
23歳の重成は色白の美丈夫で、立ち振る舞いや言動は涼やかで、礼儀作法を身につけ、粗暴なところが無く、刀・槍・馬術に長けた武将に成長しました。徳川家康が豊臣秀頼との対立路線を強めると、秀頼四天王の一人として軍勢を率いて大坂冬の陣で初陣を飾り、佐竹義宣や上杉景勝らの軍勢を破って戦功をあげ、徳川家康との講和の際は、豊臣秀吉の使者として徳川家康の本陣に乗り込んで講和の誓詞を徳川秀忠より受け取りました。大坂夏の陣でも豊臣秀頼軍の主力として戦い、藤堂高虎・井伊直孝らと戦った八尾・若江の戦いに挑むにあたっては、他の豊臣方の武将同様に木村重成も自らの散り際を見定め、前日に髪に香を焚きこませて出陣しました。

2014.09.09   えんてつ   編集

えんてつ さん

いい季節ですね。
台風は伊豆諸島を無事に通り過ぎ、被害もなかったようですね。

逃亡中の歴女に代わり、回答と解説をありがとうございます。
軍師に頼らず、問題三十二の答えは茶器だと解りましたよ。
誰だったか忘れましたが、戦いのお手柄に、信長から与えられた何万石の領地でなく、茶器を望んだ武将がいましたね。
茶道の奥深さを知ることができます。

中国から日本に最初にお茶を持ち込んだのは栄西と学んだ記憶があり、さて、いつだったのか調べてみたら1191年となっていました。
ところが、それ以前に最澄や空海が持ち込んだ記録があり、戦国時代の、ずっとずっと前なんですね、、、。
なんちゃって歴女には新発見がいっぱいで、深みに嵌っていきます!

三十六問からは、どうなるでしょう、、、。


今、ウソをつく脳の話しの本を読んでいます。
自己呈示と自己開示の単元
自己呈示は自分を良く見せるために多少のウソをつくわけですが、自己開示は、素の自分を曝け出す真実の自分。
もともと、ブログを書くこと自体が自己顕示欲を含み、自己呈示の部分が大きいと思います。
ブログ=自己呈示=ウソがあって当然であり、それが健全なブログライフなのかもしれません。

ところが、私がネットを知り、ブログを覚えたキッカケが健全ではなかったせいでしょうか、私にとっては、ブログは自己開示。
ブログでのウソは、大嫌いです。
脳がウソをつく本の著者は、人間は素になると気持ちが楽になると述べています。
社会は、つまり地球は、自己呈示によって成り立っているから、だから人間は、たまには自己開示によって自分を曝け出すことが大切だと。
私は、地球上に私を曝け出す場所を知りません。
私が私の気持ちを楽にできるところが、私のブログです。
自慢ばっかりのブログにバッシングのコメントが殺到し、コメント欄を閉じた方が居られるそうですが、私のブログに、なりすましは別として、バッシングは一件もないことが私のブログの自慢です。

いつまでも拘る事は、大人として情けないかもしれません。
でも、私は、私の素の姿を、コソコソと覗かれたら背筋が寒くなります。
私のブログの、花も好きだけど「宇宙人との会話」とする私のブログを、もっと好きです、と仰ってくださる方がいました。
涙が出るくらい、嬉しかったです。
その方々が、ここを探してくださり、私が大好きな花の色の便箋に書く宇宙人への手紙をタイトルにしたブログは、ずっと続くと思っていました。

でも、誰かの訪問により、もう、ここもイヤになりました。

少し休みます。
今後は、まだ決めていませんが、よろしくご了承ください。

2014.09.09   麦   編集

ムギさん、人気者だからおっかけは、えんてつだけじゃなくて大勢だと思いますよ。
自己顕示欲はどこに向けてが微妙です(笑)

ブログを書き続けること有形無形の財産になると思います。


このブログ、お休みされるということなので、歴史問題は場所を変えて、秘密のテントにしましょうか~♪


さて、今日は・・・・・・
歴史問題から離れて~久しぶりに科学の話。

これまでムギさんには、いろんなお話をしました。シュレディンガ-の猫ちゃんが登場したときには、この世界での現象は多重世界の状態になっており、それがどういう状態なのか調べたとたんに多重は解けてただ一つの状態が見える。こんなお話でした。ムギさんと誰かさんの関係も多重状態で確かに存在しているのです。たとえて言うなら、親しくしている状態から険悪な状態まで全部です。そしていまの状態はどうかと調べた(物理学では観測と言いますが)とたんに多重はなくなり、ただ一つの世界になるということです。大事なことは、多重状態で存在しているということなんです。そして、壮大なこの宇宙も多重宇宙のひとつではないかと言われています。

物理化学の世界では、ときとして動物やときには悪魔が登場することがあります。悪魔で有名なものに「マクスウエルの悪魔」というのがあります。19世紀は科学が一大発展した時代でした。運動や反応の根底にあるエネルギ-についての現象の理屈・仕組みが解明されたからです。そんななかで、人間が観測できる熱というものについての研究から「熱力学」という学問が生れました。

宇宙のエネルギ-は一定である・・・これが熱力学第一法則。
この宇宙でいろんなことが起ころうともエネルギ-の総和は変わらないということです。エネルギ-を熱量でいいかえると宇宙の熱量は変わらないということです。

熱は高いほうから低いほうへ移動する・・・これが熱力学第二法則です。
熱は温度の高いほうから低いほうへ流れてゆく。そしてもとの状態には戻らない。たとえば50℃の水と20℃の水を混合して35℃の水になるが、35℃の水を50℃の水と20℃の水には戻せない。熱の総量としては熱力学第一法則で同じなんですが、混ぜる前とあとでは状態としては違っています。

エネルギ-には仕事ができるエネルギ-と仕事をしてしまったあとのエネルギ-とがあるということになります。専門的には、仕事ができるエネルギ-をエンタルピ-、仕事をしてしまったあとのエネルギ-をエントロピ-といいます。熱力学第二法則は、「宇宙のエントロピ-は増大する」という言い方をする場合があります。

ところが、ここで悪魔が登場しました。ときは1872年です。悪魔の名前は「マクスウエル悪魔」です。そして、この悪魔が退治されたのはつい最近のことなんです。




いま、真ん中にドアのついた板でふたつに仕切られた部屋があります。それぞれに「元気な猫」と「おとなしい猫」が入っています。熱量で言い表せば、「元気な猫」たちは温度が高い状態だと思ってください。そこで、仕切り板を取って二つの部屋を一つにします。元気な猫とおとなしい猫は混じり合います。これは、熱力学第一法則と第二法則を表しています。

この混じり合った状態のところに、ドアのついた仕切り板を元のようにいれます。ここで悪魔が登場します。この悪魔のすることは、両方の猫の動きを観察しながらドアを操作して、元気な猫とおとなしい猫とを元のように二つの部屋に分けます。これは果たして出来るのでしょうか? ムギさん、出来そうですか~? まざってしまったものを元の状態に戻すことができたら、熱力学第二法則は成立しません。

この悪魔を退治しようとするなかで、19世紀から20世紀にかけて、科学は一段と進歩しました~♪

2014.09.10   えんてつ   編集

えんてつ さん


人気者のオッカケは名誉な事ですが、私は人気のバロメーターとなるバナーを貼っていませんし、ブログの人気者になりたい願望はありません。
私の発信が誰かの目に留まって、そこに私と同じ空気が流れてくれれば嬉しいです。
好みでもないのにおっかけてくる、ダレカの訪問は不快です。

>自己顕示欲はどこに向けてが微妙です(笑)

↑ 意味不明です、、、。
自己顕示欲の向け先は、自分の周囲が一般的だと思いますが、特定の向け先なら問題視する必要はない、ということでしょうか。


>ブログを書き続けること有形無形の財産になると思います。

継続は力なり、の財産になると思いますが、ブログの内容にもよるのでしょう、、、
花の記録として残せるなら、私にとっても財産です。

今、ブログについて考える事で、萎えています。
精神状態は下降線。
にわか歴女の部分は揚々としていますが、私はリケジョではありませんので、今、ウィキペディアを訪ねる気力もなく、申し訳ありません・・・^^;

2014.09.11   麦   編集


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