るりとうわた色の空に

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幻の 富士山ご来光


お局さまの ヨシねい(姉) から お声がかかり 男女6人の富士登山

5合目までは車
その日のうちに 8合目の山小屋に到達する
翌朝 暗いうちに出発して 頂上で ご来光を拝む

思えば あれは 青春を謳歌する私が参加した 最初で最後の合コンというものだったのかもしれない

その日
山小屋から頂上へ向かおうという夜明け前 それまで経験したことのない寒さに負けた私は ひとり山小屋に残った
洗顔するのに 雪が解けて滴る水滴を容器に貯めた光景が 今も鮮明に蘇る

まだまだ十分に若かったから そのうちにまた機会はあると思いながら生きてきたものの 車で5合目までのドライブは何度かあったが 富士山踏破のチャンスには恵まれず

ついに 私が 富士山頂で朝日を見るのは幻になってしまったが 5合目までなら まだまだ現実
行程にセットされた ハーブ園の 一面に咲き誇るコスモスが目的の友と 日帰りのバスツアーに参加した

16日 朝のうちの 曇り 5合目の気温12度 という予報を確認し 防寒具持参で6時に家を出る

このところ 晴れ女返上気味の私

 
富士山五合目に到着の時点で ガスに包まれ

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山の天気は変わりやすい の常例に期待すること しばし

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晴れた!

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下りの車窓より 

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一瞬 晴れ上がった風景に運転手さんは速度を緩めて シャッターチャンス

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5合目の展望台ではガスに覆われていた 下界に見る空



私に 登山らしきで思い出されるのは 夜叉神峠 高尾山 鋸山 遠く懐かしくはモンブラン 
モンブランと言っても シャモニーからケーブルカーで辿り着いた雪道を スニーカーだったかで ソロリソロリと歩いたに過ぎないけど 
いくつか数えるほどの 実生活から離れた標高を経験して 世界遺産と誇る日本一の富士山は 3776の5合目でさえも 分刻み いや秒刻みに豹変する 山の恐怖を感じさせる山でもあった   

あのときの若さなら 頂上を目指し 全力を奮い立たせる精神力はなかったかと振り返っては悔やまれ 再挑戦の青写真を描いてみる

 


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コメント

麦さん、こんばんは。

こちら、ここ数日朝はマイナス7℃ということで、我が出ベソも凍てつく寒さです。

どこかで、幕末の囁きがあるようなので・・・・


吉田松陰と橋本左内のことは、随分むかしに話題にしたことがありました。というか、幕末を語ろうとするときこのお二人さんを語らずして・・・ということでしょう。

この二人は面識はなかったと言われていますが、人生最後の時に同じ牢獄に入れられて、それを知ると、左内は、松陰に詩と手紙を出しています。
左内は26歳、松陰は30歳でほとんど同じ頃に斬首されました。

吉田松陰は死の直前に残した日記「留魂録」の中で橋本左内について述べた一章を残しています。

「一、越前の橋本左内、二十六歳にして誅せらる、実に十月七日なり。左内東奥に坐する五六日のみ。勝保(勝野保三郎)同居せり。後、勝保西奥に来り予(松陰)と同居す。予、勝保の談を聞きて益々左内と半面なきを嘆ず。左内幽囚邸居中、資治通鑑を読み、註を作り漢紀を終える。又獄中数学工作等の事を論ぜし由、勝保予が為めに是を語る。獄の論大いに吾が意を得たり。予益々左内を起して一議を発せんことを思う。嗟夫(ああ)」

この日記では、佐内は獄に繋がれて5,6日で斬首されています。そして、松陰は左内を生き返らせて「一義を発せん」ということで話をしたかったのです。

佐内は親藩大名の福井藩の家来だったので遠島ほどの罪になるはずで死罪ではなかったのですが、尋問の際にも福井藩の武士の正装で臨んで、持論を披露したので、罪人にあるまじき奴だということで死罪に格上げ(?)されたということです。国元では、春嶽の代わりに死を賜ったと理解されていました。

松陰は黒船に乗ろうとしました。何事も真実を知ろういう活力はすごいですよね。

2017.01.26   えんてつ   編集

えんてつ さん

ありがとうございます。

橋本左内は、ひどい拷問に耐えたという印象が強いです。
で、いつのまにか、好きな歴史上の人物になっていました。
たしか、西郷さんが最後まで持っていたのが、左内からの手紙ですよね。
けっこう、まじめな、偽歴女ですよ。

攘夷でありながら、黒船で密航しようとしたことに矛盾も感じる歴女さんも居られるようです。

やはり、歴史は面白い(*^^*)

2017.01.26   麦   編集

麦さん、こんばんは。

佐内が左内になっていますが、どちらも本人が使っているので正しいと思います。

松陰は黒船には乗れませんでしたが、長州藩の教え子は明治黎明期に海を渡りましたよ。
松陰の気持ちは、敵を知り己を知ろうということではなかったかと思います。
次は何をなすべきか、ただそれだけ、することが無くなったら生きている意味もないと東行さんに語りかけました。

わたしも佐内が大好きで、福井市へは何度も行きました。
福井の方では、子供たちが郷土の偉人として佐内のことを学んでいます。
西郷さんは佐内の手紙を死ぬ時まで大事に持っていました。そして、水戸の東洋と同じほどに尊敬していました。そうそう、西郷さんと佐内が初めて会ったときの場面のことも有名です。

2017.01.27   えんてつ   編集

あっ、読み返して間違い
西郷さんが尊敬したのは、水戸の東湖で、吉田東洋ではありませんwwww

2017.01.27   えんてつ   編集

えんてつ さん

私も確認したのでしたが、「はしもとさない」で、佐内、左内どちらも出ますね。

福井での偉人は、橋本左内なんですね。
萩では、松陰先生が残した言葉を朗読するそうですね。
我が家の天使たちを、明倫小学校に通わせたいです。

2017.01.27   麦   編集


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