おおぉ!  ふたつ


おおぉ!
私の発信が  ランキング 2位 と 3位 に並びました!

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選抜基準は不可解につき 手放しで喜んで良いものかどうかだけど ともかく上位ってことは 徒競走で一等賞をとったくらいの比かな

ブログを書くこと自体に 幾分かの自己顕示欲が潜んでいるのは確かだとして 私の場合 それが占める割合は けっこう大きいかも ・・・
なにせ
出番を待ちながら 日の目を見ることなく埋もれてしまう画像が いっぱい

そんなわけで 掘り起こした画像の 古い話になるのだけれど

テレビ好きとはいえ ホームドラマを見る習慣はありませんが いつのころからか  <これを見なけりゃ非国民>  なんて 言い出しそうな勢いで  朝の連続テレビ小説鑑賞が 私の日課になりました

ただ この秋から始まった <マッサン> は 妻エリーさんの生涯がテーマだとしても 今のところマッサンのウイスキー作りに焦点が当てられているため 男性がヒロインを占める威勢の良さが  静かな 朝に鑑賞するには慌ただしくて馴染めないものがありました

その<マッサン>を 慢性的に眺めていた ある時 エリーさんが お茶を淹れている画面に 私の目が点!
いまこそ 自己顕示欲の瞬間とばかり 再放送の時刻にデジカメを準備して待機したのでした

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なんと エリーさんが用いている湯飲み茶わんの柄は
私が茶碗蒸しに使っている器と 同じではありませんか

DSCN3015.jpg DSCN3012.jpg

そしてまた 別のシーンの居酒屋で イワシが供された大皿は 
DSCN2995.jpg

私が横浜中華街にて 怪しい骨董品まがいのお店で見つけたものと同パターン

DSCN2997.jpg

日本で まだウイスキーが出回ってない時代に好まれた趣と
平成のワインが大好きな私の趣味が重なって  おおぉ!


こんな発見があってからというもの ドラマの内容はともかく また新たな発見を楽しみに見ている <マッサン> です




公開のブログを閲覧するのは自由だとしても ご自分の発言に 責任を持ってほしい

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コメント

麦さん、こんばんは。

麦さんの表現がユ-モアに薀蓄が溶け合って魅力的です~♪

で、きょうは観察力というか、記憶力というか探究心というのに驚いてしまいました。







2014.11.15   えんてつ   編集

えんてつ さん

おおぉ! おはようございます。
ここのところ、えんてつさんとコメントが一騎打ちですね(≧▽≦)

魅力的!
そうですか~♪
有難うございます。

観察力、記憶力、探究心。
食器のこと?
う~ん、主婦なら、たぶん、どなたも自分が使ってるのと同じ食器に気づくと、おおぉ! だと思うんですよ。

2014.11.16   麦   編集

麦さん、こんばんは。

ではでは、ぼちぼち始めますか~♪

問-1
その昔、お釈迦様が菩提樹の下で決死の瞑想に入ると、そこに煩悩の化身であるマ-ラが現れてお釈迦様の悟りを妨げた。このマ-ラこそは六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)に棲む欲界の天主大魔王でありました。信長は自分こそこの最大の仏敵であると名乗ったと言われています。さてこの信長が自ら名乗った欲界の支配者は当時は何と呼ばれていたのでしょうか? また、これを証明するために信長が一万人の人夫を使って安土城の基礎の下に埋めたと言われるものは何でしょう。

2014.11.20   えんてつ   編集

えんてつ さん

第一問の想定は
 家康は待ち、秀吉は泣かせ、信長は殺してしまった鳥の名は?
でしたが~ (*^△^*)

答えは ・第六天魔王

・ 5千人の人夫を使って安土山に<蛇石>を運んだところまで突き止めましたが('◇')v
埋めたという記述はありませんでした・・・  ギブアップ! (*ノωノ)

2014.11.20   麦   編集

麦さん、こんにちは。

あははhっはhっは~   籠の鳥なぜに飼われた意味知らず。

これは厳密には問題ではなく、麦さんへの問いかけです。なので厳密な意味での正解、不正解はありませんよ~♪ 律儀な麦さんですからこだわりがあるかと思いますが、優しい心でお願いします。 

問-1は、幸先良いスタ-トですね!
だれも第六天魔王と呼ばれたくはないのですが、信長は道三への手紙のなかで自分のことを第六天魔王だと称したとのことです。わたしが思うに、第六天魔王はお釈迦さんと対等に戦った怪物だということが気に入ったのではないかと・・・笑。
ルイス・フロイスの日記や信長公記には、安土城の天守に向けて一万人で三日をかけて大石を上げたということが書いてあります。公記には、それが有名な大石で「蛇石」と呼ばれていたとも書かれています。また彦根の荒神山から運んだとも言われています。埋めていなれば石垣や城跡のどこかにあるはずなので埋められたのではという考証がなされています。


問-2
信長の戦績というか戦い方は、桶狭間の奇襲戦を挟んで大きく変化しています。桶狭間以後は、ほとんどの戦いで敵に倍する兵力を揃え、しかも戦の前には持ち前の政治力で勝利が確実になるまで戦略を練り上げています。そして負ける恐れのある戦いは戦わないか、あるいは途中からでも戦線離脱しました。

戦いぶりになぜそういう変化が起こったのでしょうか、考えてみてください?

2014.11.20   えんてつ   編集

えんてつ さん

そう言えば、ホトトギスは、
「テッペン禿げたか?」と鳴くと思っていました(^▽^;)

問‐2
難問ですね。
秀吉が途中から戦線離脱して、信長は秀吉を怒ったんですよね。
その後は、、
眠くて、、、これもギブアップ・・・ (-_-)zzz


2014.11.20   麦   編集

麦さん、こんにちは。夜更かしさせてしまったかな~ゴメンナサ~イ!

いよいよ総選挙ですね。安倍政権はこれまでにない危険な暴走政権ですから、時の利を得て過半数を取ったならば、それっ信任されたとばかり、暴走を加速させるに違いありません。あっ、政治はご法度でしたね(泣)。

では、歴史相聞会を続けましょう♪

問-2
 こういう問いかけというか内容は、実はとても学問的なんですよ。史実というのは、いつどこでだれが何をしたのか+「その理由はなぜか?」まで含まれます~♪

桶狭間までは、一介の田舎の侍大将で、なんとか領地を確保して生き延びようとしていました。なので、余裕のある戦いはありえませんでした。しかし、桶狭間からは覇者になるんだという気持ちというか自覚を持ったと思われます。やはり大物を倒したという成功体験が信長を変身させたのではないかと思います。逆にいえば部下も増えてくるし領地の農民も増えてくる。そうなると部下や領民を守りながら戦を進めるということで、それまでの賭け事のような一か八かの戦が出来なくなったのです。そして、その分、自分に敵対する者への仕打ちが激しくなったのかも知れませんね。


問-3
信長の正室である濃姫は、斎藤道三の三女で美濃で生まれた姫ということで濃姫と呼ばれたといわれています。さて、濃姫は何歳でどこで信長と結婚し、何歳でどこで亡くなったのでしょうか?

2014.11.21   えんてつ   編集

えんてつ さん

私は24時間体制の専業主婦業なので、夜更かしという習慣はなくて、そして難しい問題に立ち向かったとき眠くなる習慣があります(^▽^;)

私にネットで発信するほどの政治思想はないですしね。 
今度の選挙は、('▽')ゞ


問‐2は、相当な歴女でないと考え付かなさそう、、。


問‐3

濃姫は1535年生まれで、結婚が1548年か1549年。
13歳か14歳で結婚したことになりますね。

普通にお輿入れしたのではないのですか?

結婚した年も2説と曖昧で、死亡についても、病気だったり、早死に、長生き、と、いろいろな記録が残されているようですが、本能寺で信長と共に逝ったと思いたいところです。


2014.11.21   麦   編集

こんばんは。

お茶会の団子に目がいってしゃあないのですが・・・・・

問-3
濃姫は明智の血を継いでおり、明智光秀とは七歳違いで、恋仲であった。しかし、道三の政略で濃姫は信長に嫁ぐことになった。本能寺の変で光秀は信長を討ったがその後、濃姫がどうなったのかあやふやなのは戦国七不思議になっている。

なにせ、濃姫は信長の正室という身分でありながら、麦さんのお話のようにいろいろな説が唱えられている。本能寺のその後、おやかた様である信長の部下たちが戦国時代を形作っていたのだから、濃姫の消息も正しく伝えられていた時代があるはずです。

信長の菩提所である京都の大徳寺総見院には、「信長公御台」として「養華院殿要津妙玄大姉」という法名のある塔頭が残っていてこれが濃姫ではないかという説が強いようです。これが正しいとすると、濃姫は秀吉の死や関が原も見聞きして、慶応十七年まで生き、七十八歳の生涯を閉じたということになります。

小説や劇画では、本能寺で信長とともに討ち死にしたという筋書きが断然多いのですが、濃姫の性格からするとそれがぴったし合いそうだというのも頷けます~♪


問-4
信長と猿といえば、秀吉のことになりますが、信長公記には信長の慈悲深さを示す猿の逸話が登場します。その場に居合わせた民百姓も部下の諸将もみな感涙したという、さてこの逸話とはどのような話でしょうか?

2014.11.23   えんてつ   編集

えんてつ さん

その、しゃあない、お団子さん!
テーブルセッティングから月見団子と間違えられても仕方ないですが、実は、柚子風味の和菓子なんですよ。


本能寺では信長の首は見つかってないんですよね。
地下に抜け穴もあったらしいし、、
濃姫が生き延びた可能性は高いってことですね。


問‐4

美濃の国と近江の国の境に、山中というところがあった。その道のかたわらで、不具者が雨にうたれて、こじきをしていた。信長公はこれを京への上り下りのたびに、ご覧になり、あまりにかわいそうに思われた。あるとき、
「だいたいこじきというものは、その住所が定まらず流れて行くものなのに、この者だけはいつも変わらずこの地にいる。どのような事情があるのか」
とご不審のあまり、土地の者に尋ねられた。土地の者は、
「この山中でその昔、常磐御前(源義経の母)を殺した者がおります。その因果によって、子孫に代々不具者が出て、あのようにこじきをしているのです」
とお答え申し上げた。

 6月26日、信長公は急に京にお上りになった。諸用に紛れてご多忙であったにもかかわらず、あの山中の猿のことを思い出された。そして、木綿20反を自ら取りだし、お持ちになって、山中の宿に行き、
「この町の者は、男女すべてがここに集まるように。言いたいことがある」とおふれを出された。
人々は、どのようなことをおっしゃられるのかと、緊張しながら御前に出た。
すると、信長公は、木綿20反をこじきの猿に与えられ、
「この反物半分でもって、だれかの家の隣に小屋をつくってやり、餓死しないように情けをかけてやってほしい。この近くの者はこのこじきのために、麦の収穫のときには、それを一度、秋には米を一度、一年に二度ずつ、毎年安心できるように少しずつ、このこじきに与えてくれれば、自分は嬉しい」 と。

これですね (*^-^*)



2014.11.24   麦   編集

 麦さん、こんばんは。

 こちらの山々も、信州ほどではありませんが紅葉が目立ってきました。とはいえ今年は社会情勢の激変もあって紅葉狩りには行けそうにありません。
 紅葉刈り、麦さんのお供をさせていただけたら嬉しいのですが・・・・
 そうそう、師走になれば、つるんぼしの機関銃で麦さん狙い撃って我がものにしようとたくらんでおりまする。

 さて、信長に話を戻しましょう。猿事件の詳しい内容を調べていただいてお疲れ様です。
非道な振る舞いと思われることが多かっただけに、この猿の逸話は有名な話になっています。


織田信長が世に出るための最大の敵は、母の違う弟の信行でした。
信長は奇行が多く大うつけと思われていたことから家臣の離反も多かったのです。逆に織田家の中では弟である信行への期待が高まっていました。後年、織田家の大黒柱となった柴田勝家ももとは信行の家臣でした。

味方の少ない信長にとって斎藤道三との関係は大きいものがありました。しかし、その道三も息子の義龍に殺害されることになり、いよいよ後ろ盾がなくなりました。弟である信行を倒すより他に生き延びる道がなくなりました。

さて逆に、織田信長家臣団の形成は、弟信行との争いのなかで構築されたといえます。その最大の戦いは稲生原の戦いでした、信長は一人でも味方の武将を増やしたいということで信行の家臣の寝返りをほとんどすべて許したのでした。

問-5
◎信長の大うつけの決定的なことはなんだったと思いますか?
◎信行との稲生原の戦いは終始信長劣勢のまま経過しますが、信長のある行為で形成が入れ替わったと言われていますが、それはどういう行為だったのでしょうか?
◎また、稲生原の戦いのなかで信行の家臣で信長に寝返った武将にはどういう人がいますか?
◎これより後、信長は最終的に信行を滅ぼすことになりますが、その手口というか事件とはどういうことだったのでしょうか?
◎当時、麦さんだったら信長の見方につくことが出来るでしょうか?

2014.11.24   えんてつ   編集

えんてつ さん

紅葉前線、だいぶ南下しましたね。
前日の思い付きで、ひょいと三千院へ飛んでいくかも。
それがないと、私の秋は越せなさそうで。
(≧▽≦)春夏秋冬、いろんな機関銃をお持ちで、、、

友人との話の中で、やっぱりトリオの中では、信長が一番ね、と。
秀吉は、人気がないですね。
イケメンとかではなくてですね。

淀殿にとって、秀吉は親の仇だったわけで、最初から豊臣滅亡を目的で側室になり、夏の陣で秀頼と自害し目的が達成されたのではないか、という歴史家がいました。
親子ほどの年齢ですし、正室ならともかく、なんで秀吉なのか、、と私も思うのですが、どうなんでしょう?
私からの、問-1 です (*^-^*)

問-5 またまた難問を、、、のちほど。




2014.11.25   麦   編集

麦さん、こんにちは。

こちら夜半から雨模様で久しぶりの雨です。
ふふふhふはふ~麦さんをゲットするためなら、なんでも武器にしてしまおうと~♪

では、麦さんからの問-1 考えてみました~♪
浅井の三姉妹の母は信長の妹のお市さん。浅井が信長に滅ぼされたあと、お市さんは三姉妹を連れて柴田勝家と再婚する。この勝家を秀吉が滅ぼす。このときお市さんも運命を共にする。

秀吉にしてみれば、信長の妹君お市さんはあこがれの的であった可能性が大きいです。お市さんが織田家の侍大将の勝家と再婚したということは流れとしては不思議ではないと思います。本能寺の信長亡き後の権力抗争に打って出た秀吉は、信長の事業の跡継ぎという面と、勝家からお市さんを取り返えそうという気持ちがあったと思います。北の庄のお城で勝家夫婦が自害したとき、同時に三姉妹も命を落とす可能性がありました。三姉妹が助かったのはラッキ-の一言だったのかもしれません。

三姉妹のうち、茶々がお市さんに一番よく似ていたと言われています。信長の血を受け継いだ娘であり、なおかつ、あこがれのお市さんの面影のある茶々ですから、権力の頂点に君臨する秀吉にしてみればほおっておく訳にはいかなかったのでしょう。

で、茶々はこの猿のような変態爺となぜ結婚したのか? それはまさに女太閤記でしょう。茶々は秀吉と結婚する前にかなり縁談話がありました。しかし、長女としての気位があったのか、それとも血筋ゆえに逆に煙たがられたのか、妹ふたりとは違っていました。そして、秀吉と結婚することに打算があることに気が付いたと思います。結論は月並みですが自分の産んだ秀頼を秀吉の跡継ぎにしたかったに違いありません。

秀吉死後、おねさんは豊臣家の正室でありながら、徳川方につきました。このあたりは女の恨みつらみだったと思いますが、豊臣家を滅ぼしたのは実はおねさんだったと思います(これはわたしの昔からの持論なんです・笑)。

なにより豊臣家が不運だったのは、秀吉の弟である秀長の死だと思います。秀長は人間関係に機敏で調整能力をもっていた。そしてなによりも秀吉とは強力な信頼関係で結ばれていましたからね。それと家康が長生きしたことも・・・・・麦さん、歴史の教えるところは、長生きする者が最後の勝利者なんです。

2014.11.25   えんてつ   編集

えんてつ さん 

こちらも予報が当たり、朝から雨になりました。
麦は、そう簡単に命中しませんから、しっかり腕を磨いてくださいね~(*^▽^*)

ご回答、ありがとうございます。

>自分の産んだ秀頼を秀吉の跡継ぎにしたかったに違いありません。

秀吉の跡継ぎと言うことは、叔父、信長のあとを継ぐためだったのでしょうか。

>豊臣家を滅ぼしたのは実はおねさんだったと思います。

跡継ぎを産むことが出来なかったことで、茶々への対抗意識ですか?
秀長さんは気の毒でしたね。
今なら、兄弟も子供も同じですが、当時の命の軽さでしょうけれど、関白(そのときは太閤ですね)の器ではないですね。

>長生きする者が最後の勝利者なんです。

それじゃ、早死には敗北者、ですか?
私は、そうは思いませんが、、、。
早死にして勝つこともあると思います。

私は負けてもいいし、楽しく生きて、早死にしたいですね (^^♪

2014.11.25   麦   編集

こちらにも返事!

>秀吉の跡継ぎと言うことは、叔父、信長のあとを継ぐためだったのでしょうか。

 淀君に豊臣家をまとめる自信があったのかどうかが焦点になりますが、目先は秀吉の子であるわが子を跡取りにしようという分かりやすい動機だと思います。家康の勢力が大きくなり、豊臣古来の家臣たちの離反が目立って来たことも焦りになったと思います。

>跡継ぎを産むことが出来なかったことで、茶々への対抗意識ですか?

 それもあると思います。それ以上に戦の好きな男社会が嫌になったのかもしれません。家康への接近は、統治能力のある強い者に任せるしかないという一種の諦めかな~とも。おねさんに漢の高祖の妻の呂后のような資質があればまた違う戦国模様がみられたかもしれませんね。

>それじゃ、早死には敗北者、ですか?

戦国時代の要諦は「生き残る」ことです。なので、単純に「長生きする」というのと少し違うかもしれません。正確には「一族の運命」です。 「早死にして勝つこともある」ということに「寿命を全うしたかどうか」を掛け合わすと良いのかも知れませんね。殺されて早死は辛いですもん。


>私は負けてもいいし、楽しく生きて、早死にしたいですね (^^♪

 負けて楽しい花一匁~♪  早死には困りますwwwww.




歴女けふの相手はうつけもの  ~信長

2014.11.26   えんてつ   編集

えんてつ さん

こちらにも、ありがとうございます。

生きること
生き残ること

戦国時代と平成では、大きく違いますね。

戦国時代に私が生まれていたら、生きている意味を感じなかったかもしれません。
まぁ、戦後に生まれて平和な世の中しか知らないから、ですけどね。

お互いに、健康で、元気で、死ぬまで生きて行きましょう(^^♪

「徳川家康」が始まりました。
ティータイム&テレビ鑑賞 ・・・ 至福の時です (#^.^#)

2014.11.26   麦   編集


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