昭和のオバサンは 煩わしいセキュリティに感謝


神宮の銀杏も 紅葉の見ごろらしく 行ってきましたのお土産に 神楽坂のオコシをいただきました
浅草とは また違った風情の包装に 私の胸がときめきます

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オコシは とりあえず取り出してストックし セロハンテープと鋏を準備

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小さな袋が 6枚完成しました

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ダイレクトメールに入っている封筒なんかも 小さな袋に作り変えます
銀座の鳩居堂に行けば これくらいのサイズの袋が いくらでも手に入りますけど
ミミッチイと侮るなかれ!
COACH の小袋もあるんだから

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何に使うのかと言えば
花が終わって種が出来たら 蒔き時が来るまで取り置きするための種袋です




何年くらい前になるかな
掃除機と炊飯ジャ-だったかが壊れて 買い替えようとしたときのこと

お支払いのカウンターで 我が社の大蔵大臣がカードを差し出しながら 「もう買うものはなかったか?」 と言うので いつからか替え時と思っていた 「ビルトインは?」 と 私

あぁ そうだったね ・・・

掃除機 と 炊飯ジャー と ビルトインコンロ を同時に買い換えるなんて 長い主婦業の私でも珍しいこと
ましてや 私の一言で ついでのようにビルトインコンロを付け加えるカードの使い方を レジ担当者が不審に思うのも解る気がします

住所 氏名 など確認された挙句に たぶん先方はカード会社だと思うけれど  電話口で夫の風貌らしきものを伝えている ・・・

自分のカードで買い物するのに 何でこんなに煩わしいかと 夫は憤慨寸前
 

なんで 今 こんなことを思い出したかというと 

最近になって新しくなったPCは それまでの待ち時間が嘘のように サクサクサクサクと 快適 
ところが さて 今日のつぶやきを と思って ログインしようとしたところが 画面は いつまでたっても真っ白のまま
なんどログインをクリックしても 小さなマークが ぐるぐる回っているだけ

ようやく 警告が表れて 再認証の結果 やっと ログイン完了したのでした


今では当たり前の カードとか PCとかを使いこなせない私の周囲には 危険がいっぱい

危険と向かい合いながら それでも PC遊びを辞められない

煩わしくはあるけれど 有り難いセキュリティーシステムに 感謝 感謝

生きてる限り きっと
きれいな紙袋は収納庫に収め なかなか捨てられない包装紙では 小さな袋を作り続ける昭和のオバサン 





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コメント

今日は🎶
可愛い袋に種ですか(^-^)

綺麗な紙袋と包装紙…
なかなか捨てられないって
ものすごくよくわかりますね

昭和のおばさんですから(笑)

2014.12.03   h.j   編集

h.j さん

良かった~(^^♪
h.jさんも、宇宙人ですね。
地球人には、紙袋も包装紙もゴミですからね~!

一辺が5cmくらいの、可愛い袋です。
小麦粉のような種もありますから、普通の封筒では大きすぎるし、作る作業も楽しいんですよ(*´▽`*)

いつまでも昭和・・・
せめてPCを使いこなせる、平成のオバサンになりたいものです(^▽^;)

2014.12.03   麦   編集

こんにちは。

携帯とスマホの区別もできない人間としては

機械はいつか壊れます・・・・昭和のおじさん

2014.12.04   えんてつ   編集

えんてつ さん

昭和のおじさんには別名もあり、

たとえば、歩くコンピューター とか
しゃべるコンピューター とか

永遠に壊れませんね(^^♪

2014.12.04   麦   編集

 麦さん、こんにちは。

そろそろ冬眠が恋しくなってきたのですが、突然に師走選挙というイベントが降って湧いて忙しくなりました。今年は選挙への関わり方が違うので戸惑いがちなところも冬眠の妨げになっておりまする。

消費税増税
集団的自衛権の容認
原発再稼働
秘密保護法施行
TPP交渉継続

どれをとっても国民目線でなく、アメリカと大企業目線だと思います。どれか一つぐらい国民のための政策があれば~と思うのですが、一つもなしです(泣)

さてさて、戦国を論じましょうね。

天下を支配する大義名分があるのかどうか~? これは古今東西をいわず支配者が気にかけてきたことですね。古代中国では、「天がそのようにわたしに命じたのだ」という考え方(易姓革命)が主流でした。では、信長、秀吉、家康の場合はどうなんでしょうか?

「戦乱の世を統一する」という事業そのものは大義名分になるのかどうか怪しいですよね。大義名分は、なぜあなたにその事業なさしめるのかという理由づけですからね。大義名分を知らしめるのは「軍師」の仕事の一部だと思います。信長、秀吉、家康が引き継ぎながら天下統一を実現しましたが、それぞれに大義名分があったように思います。

信長は教育係であったお坊さんから「天下布武」を担う人間になり、国を統治することを教えられます。うつけと言われた信長がこの三人のなかでは一番大義名分を意識した人物だったと思います。秀吉には、国を治めるという手前で人望が離れてしまいました。その第一の原因は「朝鮮出兵」です。「朝鮮出兵」に起因する豊臣家臣団の分裂が豊臣家を滅ぼしました。淀殿は秀頼の母としての権力が多少あったことは事実ですが国家を治める力量があったとは思えないです。

 家康は、本能寺の変のドサクサまぎれに関東に加えて旧武田家の領分を手に入れました。この実力支配のまえに分裂した豊臣軍団も家康の配下にならざるを得なかったと思います。でも家康には大義名分がなかった。家康は、「秀頼を守るために関ヶ原で三成を討ち」ましたが、それも自分が国を統治する大義名分にはならなかった。豊臣家は信長の事業の跡継ぎ役としての大義名分がある。これを覆すためには、「武家の棟梁」という勲章を得ることだという軍師の意見で朝廷から征夷大将軍に任命された。こうなって、やっとこさいくら豊臣が主人だと言っても、朝廷から徳川家康こそ「武家の棟梁」だという大義名分を得てやっと政治を行う実権を握ったことになりました。

 なので、結論的には、徳川家は、信長、秀吉のもっていた影響力を排除することに成功したといえるのではないかと思います。

問-9
何がどう変化したか、は、二人の関係ということですか?
うつけ者と噂されていた娘の婿に会ってみたところが、想定外の立派な武将だったのですね。
信長は、マヌケのフリをしていたのではないかと、周りから見直され、舅と婿の関係でありながら、信長の立場が強くなった?


なるほど、信長の立場が強くなったと考えることはできますね。同じことかもしれませんが、わたしは道三が信長のことを敵に回すのはやばいと思ったと思います。

では、問-4

清州会議で、織田家の後継者を三法師と挙げ、途中で秀吉は席を外しますが、仮病ですか?
仮病だとしたら、それはなぜですか?

信長の後継者選びと領土問題が清州会議の議題でした。会議そのものは柴田勝家の提案でした。ただ、勝家から言い出す必要性があったのかどうかです。信長は嫡男の信忠と打たれましたが、弟たちがいました。当時の常識からいえば、血族者のなかで一番実力のある者があとを継ぐのが普通でした。いくら信忠の嫡男だといえど、すぐに後継者にするのは常識外れです。
ということで、三法師を後継者に押したのは無理のあることで、それが成就したということは陰謀です。途中で席を外したのかどうか分かりませんが、そういう演出があったとすれば、秀吉の賭け、でなければ自信の表れだったかな~と感じます。

あっはってゃはhっははhは~ 仮病ですか?  ならば、勝利宣言かなと思います。


つるんぼしが昨今の冷え込みでぐっと色づいて来ました、今週末にでもお送りできるでしょう~♪


2014.12.05   えんてつ   編集

えんてつ さん

冬眠どころではなくなったようですが、うたた寝はしょっちゅうのようで(笑)
この時期ですしね、我が家も、ご披露できるほどの花は咲いていません。
皇帝ダリアも、今年は葉ばかりでした(-_-)

ジワジワと、今度は政治でブログジャックですか~( ̄▽ ̄)

戦国論、ありがとうございます。
朝鮮出兵のころは、信長に仕えていたころの秀吉の魅力はなくなりましたね。


>途中で席を外したのかどうか分かりませんが

そうなんですか?
何か下心があったのかな、と思ったのですが。
腹痛で席を外したような、、、。

2014.12.05   麦   編集

麦さん、こんばんは。

今朝は家の横の池に薄氷が張っていました。

さて冬の夜長は歴史相聞にはお似合いです~♪

問10
織田信長の家来で四天王と呼ばれていたのは、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀の四人だった。で謀反とはいえ明智光秀が後継者となろうとしたことは後継者として納得できる範囲内だと言える。それが、豊臣秀吉の天下に帰趨したのであるから、こちらのほうが異常なことだろう。とにかく豊臣秀吉は賤ヶ岳の戦いを境に人が変わったように戦略の備わった智将の姿に変身した。軍師の働きここにありということだったのだろうか?

豊臣五大老は、秀吉が息子秀頼を思ってこしらえた行政機関で現代風にいえば閣議を構成する大臣といえる。秀吉晩年のメンバ-は、徳川家康、前田利家、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家であるが、そのうち徳川家康、前田利家は別格だった。ということで、家康が豊臣家の跡継ぎをなしたとしても不思議ではない。

もしも、秀吉が豊臣家の安泰を願うならば早くに家康を滅ぼしておくべきだった。家康の関東への国替えは京都から遠くへ追いやるということではあったろうけど、じっくり作戦を練るという意味では家康にとってありがたいことだったかもしれない。

さて、秀吉にとって家康を滅ぼすチャンスはあったのだろうか、考えて見てください。

2014.12.09   えんてつ   編集

えんてつ さん


官兵衛にも光秀の謀反は寝耳に水だったのでしょうけれど、信長よりも秀吉に忠実だったことから、秀吉よりは冷静に受け止められたのかなと思います。

秀吉の変化は賤ヶ岳の戦いだったのですね。
人間は、富を得ると次は名誉を求めるとか、、、
お市さんの娘、特に茶々を傍に寄せることができたことも、秀吉を変えたのでしょうか。

天下を取るのではなく、本当の天下泰平を願って戦ったのは信長ではなかったのかと、比叡山の焼き討ちも、秀忠の夏の陣の決断と同じ意味があったのではないかと思うことがあります。

秀吉にとって家康を滅ぼすチャンスですか。
少し、ひも解いてみないとですね。


では、問-5
秀吉にとって家康を滅ぼすチャンスは必要だったのでしょうか?

2014.12.09   麦   編集

こんにちは。

問-5
歴史を眺めてみると、豊臣家は徳川家によって
滅ぼされることになりました。
豊臣家の安泰を願った秀吉にとっては良からぬ結末です。

ゆえに、秀吉にとって家康を滅ぼすチャンスがあ
ればそれを実行しておくべきだったと言えます。
結果論になりますが、チャンスは必要だったと思います。

あとに生きるわたしたちには、あの時こうすれば~ というのが色々出てきます。
古代より戦史というものが大切にされるのは、歴史を未来に観るという重要な意味がありますよね。

2014.12.12   えんてつ   編集

えんてつ さん

ググっていったら、「なんで秀吉は徳川を滅ぼさなかったのか?」と言う疑問が何件かあったので、大切な部分なんだなと思いました。
小牧・長久手の戦い辺りが焦点でしょうか。

それが正解だとしても、、、
私は、豊臣家が滅びて結果は良かったと思います。

朝鮮を攻める前に、徳川を攻めるべきではなかったか? とありましたが、朝鮮を攻めること自体が、私は秀吉に賛成できません。
天下を取ることは、天下泰平のため、であってほしいです。
秀吉は、私利私欲のための政治家だったと、私は思うのですが、、。

たぶん、えんてつさんの相手に、私では役不足ですね (^▽^;)

2014.12.13   麦   編集


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